六月の開港記念日には、横浜公園でバザーが開かれて、サーカスがやってきました。サーカスも楽しみだったけど、私たちが心待ちにしていたのは花電車でした。その日、市電たちは電飾を身にまとい、陽が落ちた街に光を振る舞うのです。横浜の街中を全身に電球を点らせた路面電車が走り回るのですから、その華やかさは舞浜のエレクトリカルパレードの比ではありません。開港記念日は、空が藍に染まるのを、首を長くして待つ日でした。
振り返れば、そのように私たちは、いつもなにかでわくわくしていたようですが、そのわくわくのなかには、あるいは、知らずに近づき、時に踏み越えていた数々の結界の記憶もあったのかもしれません。
保土ヶ谷遊郭は寿命を終えていたけれど、洪福寺松原商店街のすぐ近くには、南浅間町(みなみせんげんちょう)のカフェー街が扉を開けていました。横浜橋商店街の脇には広大な永真(えいしん)遊郭が広がっていて、まだ現役だったはずです。その隣りの吉野町にも、伊勢佐木町に沿って延びる曙町にも色町があったし、三渓園のほど近くには本牧のチャブ屋があった。日ノ出町・黄金町は言わずもがなです。寮には、当時はヒロポンと言った覚醒剤を専門に取り締まる刑事の家族も暮らしていて、残念ながら、ミイラとりがミイラになったことを、子供ではなくなってから知りました。
むろん、当時の私には、自分たちが元遊郭で暮らしていたことを知らなかったように、わくわくして出かけていた街がそういう土地だったとは知る由もありません。しかし、寮とちがって、遊びに出かけた街たちは現役でした。そこには、はっきりと、結界があった。なにも感じなかったはずがありません。
結界とは、つまりは落差です。聖と俗のように、対極にあるものを隔てているわけですから、そこには大きな落差が生じます。そして落差とはエネルギーです。土地の高低という落差は水力というエネルギーを発生させるし、男女の想いの落差は失恋の痛手というエネルギーを生みます。どんな落差であれ、落差があるところにはエネルギーが生じます。
つまり、私たちが遊びに出かけた街の空間には随所に落差があって、エネルギーを放っていた。その空間に身を置く限り、誰もが、エネルギーを受けることになります。そのエネルギーの由来を知っているかどうかは関係ありません。雨がなぜ降るかを知らなくても、雨が降れば、おとなも子供も濡れるのです。
その雨粒のように、私たちは結界を、感じていたように思えます。さもなければ、なんであの空間が、六十年近く経っても、私の内に、わくわくとした想いとともに広がっているのかが分かりません。他の子供時代のほとんどの記憶はすっかり退色して、あの頃の思い出だけがくっきりしています。もしも、私が人よりも多めに空間に感応するとしたら、あの頃、たくさんの雨粒を浴びたから、としか思えないのです。
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