なぜ日本に情報機関がないのか
こうした視点で戦後の日本を振り返ると、敗北続きだ。
北朝鮮による日本人の拉致は、情報機関による工作活動だ。日本人を拉致して自国の工作員に日本語や習慣を教え込ませたり、潜入工作員がその日本人の身分を「背乗り」(乗っ取り)したりするのが目的だった。その発覚を防ぐための、政界工作や世論誘導も完璧に行われた。
北朝鮮が特異なのではない。背乗りのための拉致や政界・世論工作は東側諸国が得意とする諜報技術だった。情報機関を持たぬ日本が、あまりに無防備だったにすぎない。つまり拉致問題とは、日本が北朝鮮との諜報戦に不戦敗を喫したことによる無残な結末であることを認識せねばならない。そして今、拉致被害者の所在と安否を確認する術は、表の外交交渉ではなく、裏のインテリジェンスしか道は残されていないはずだ。
安倍政権はインテリジェンス機能の強化には熱心な政権だ。特定秘密保護法を施行し、「国際テロ情報収集ユニット」を設置した。イスラム過激派対策からスタートし、将来、国際情報機関に格上げすることを目論んでいるとされる。
だが、現実は吉野が描く理想とはかけ離れたものだ。
「ユニット」は外務省内に置かれ、トップは警察庁出身者という捩れた形態となった。言うまでもなくこれは「省益争い」の産物だ。外務省は警察出身者の失敗を政治家に告げ口してポストを奪おうとし、警察側は外交官を「ド素人の公家集団」と揶揄するという些末な暗闘が繰り広げられている。そこにあるのは「愛国心」ではなく、「愛省精神」「愛庁精神」だけだ。
某国のインテリジェンスオフィサーの指摘は辛辣だ。
「新しい情報機関を作っても、日本の官僚はどうせ2年くらいで出身省庁に戻ってしまう。だから彼らは国のためではなく、自分の出身省庁のために働くようになる。これでは我々は信頼して情報のギブ・アンド・テイクはできない。このままでは日本は世界のインテリジェンスのネットワークに入れない」
吉野の指摘は早くも的中している。
二十一世紀の情報機関の役割は、国家対国家のスパイ合戦だけではない。イスラム過激派によるテロ防止という重要な機能を果たすためには、かつての「敵」とも手を結んで、多国間(マルチ)の情報交換をせねばならない。そのとき、独自のインテリジェンスを持たぬ国家はネットワークから弾き出され、国民を守ることができなくなる。
本書は老オフィサー・吉野準の覚悟の提言である。官僚たちはコップの中の省益争いを直ちにやめ、骨を埋める覚悟で国に奉仕すべきだ。そして私たち国民は、吉野が明らかにする現実を見つめ、「情報機関は国民監視につながる」という古い思考を捨てねばならない。そのうえで、日本が諜報の世界に打って出ることのメリットとデメリットを真剣に議論せねばならない。
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