冒頭で私は「梟助は、客の人生に介入しない」と書いた。本編ではその「介入しなさっぷり」に注目願いたい。人を不幸にする鏡だということも、古道具屋が誠実な商売はしないだろうということもわかっていながら、梟助は止めるでも諫めるでもない。これが一般のシリーズ小説なら、主人公はなんとかして鏡を取り返すとか、鏡を買った中臈をケアするとかの行動を起こそうとするものだ。ところが何もせず、さてこれからどうなるかな、などと想像しているのである。
もちろん、買ったのが慎ましく暮らす庶民の女性だったら、あるいは中臈が「梟助の客」だったら、また違ったかもしれない。だが本編は、梟助というシリーズ主人公の立ち位置を見るのに絶好のテキストと言える。
そして掉尾を飾るのは表題作の「還暦猫」。猫になりたいなあ、と常々言っていた妻が、還暦を迎えた翌日にほんとうに猫になってしまった、という夫婦の話である。なんとも素っ頓狂な設定だが、このシリーズにあっては「そういうこともあるかもな」と、すんなり受け入れてしまえるから不思議である。
妻が猫になったことで人別帳の扱いに困り(ありえない設定なのに、そういうところだけは妙に現実的なのがおかしい)、ついに南町奉行・遠山左衛門尉が登場してくるのも楽しい。こんな有名人が登場するのは初めてではないだろうか?
いかがだろう、男の話、女の話、落語や物語の蘊蓄に、ちょっと斜に構えた視点からの怪異譚、そしてほのぼのファンタジー。「七色の変化球」といった理由がおわかりいただけたかと思う。
だが、バラエティに富んでいるように見えて、そのすべての底辺にあるのは、大いなる人間讃歌だ。前述した「変化球の共通点」とは、これである。苦しみに満ちた日々を、笑いながら振り返って語れる人間の強さ。何歳からでも学べるという人間の可能性。小狡さや姑息さをも笑える人間の大らかさ。他者の幸せのために尽力する人間の温かさ。そういったものが本書には詰まっている。
「還暦猫」の最後の、梟助のセリフを読まれたい。
「いやあ、生きていて、本当によかったですよ」
これは、本シリーズの作品すべてに共通する思いなのだ。
温かいから、心地いいから、楽しいから、幸せだから、何冊読んでも飽きない。きっとまだ、持ち球を隠しているはずだ。次にくるのはナックルか、スクリューか。早く次の一球を見せて欲しい。それまでバッターボックスで構えて待つとしよう。
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