私は昭和三十五(一九六〇)年生まれです。
日本は高度経済成長のまっただなか。東海道新幹線、東名高速道路の開通、東京オリンピックの開催などの大事業に経済は活発化し、年平均一〇パーセントという驚異的な成長を遂げていました。
その後も安定成長を続けた日本経済のお蔭で、私はかなり恵まれた幼少年期を過ごすことができました。
東京の板橋で製麺機工場を営んでいた父の羽振りはよく、小さい頃から欲しい本もレコードもおもちゃも大概のものは買ってもらえましたし、いい洋服を着せてもらい、おいしい物も食べさせてもらいました。
日本の繁栄と豊かな暮らしは当然のものとして目の前にあり、その傍らにはいつも昭和天皇のお姿があったのを記憶しています。
テレビでお見かけする、丸眼鏡をかけ終始穏やかな表情を浮かべておられる天皇陛下は、私にとって、平和で豊かな日本の象徴そのものでした。
昭和の経済成長の恩恵を存分に享受した私は平成元年、二十九歳で『奇妙な廃墟』という処女作を上梓し、それがきっかけとなって物書きの道へと進みました。
平成という時代は字の意味するところとは裏腹に波乱に満ちていました。
冷戦の終結とともに世界の枠組みが大きく変動し、日本の経済も政治もそれまでの安定を維持することが困難になったのです。
世紀末には湾岸危機、日米摩擦、政治改革といった事件が次々に起こり、二十一世紀に入ると、九・一一に始まるテロの脅威が国際社会をおびやかし、アメリカの衰退は世界的な経済危機を引き起こしました。その巨大な波に日本は翻弄され続け、国としての足場を失いつつあるようにみえました。
そうしたなか、文芸評論家として、文壇、また論壇で、議論を展開してきた私は、「昭和天皇」という大きなテーマと出合いました。
以前にも書きましたが、歴史の専門家でもない私がこのテーマに挑んだのは、昭和天皇という視座を借りて、現代史のあらゆる事件、あらゆる人物を登場させた壮大な群像劇を書きたかった、書かなければならないと思ったからです。
そうした試みとは別に、「文藝春秋」で二〇〇五年~二〇一二年、さらに「本の話WEB」で二〇一二年~二〇一三年と、足かけ九年間連載を続けるなかで見えてきたのは、皇室を尊敬する国民とその国民に寄り添われる皇室の姿でした。
皇室はおそらく米の伝播と同じころから、日本人に尊敬されてきました。六世紀の頃からは明確に国政を司られて、今日まで続いています。いうまでもなく、世界中のどこにもそんな王室はありません。