平成の世になって二十八年がたち、この八月、今上天皇は自ら「生前退位」へのご意向をメッセージという形で表明されました。
五十五歳で即位された天皇陛下も八十二歳になられ、体の衰えを考慮すると、今後全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと、ご案じになられたとのこと。
メッセージには、天皇が健康を損ない深刻な状態に立ち至ったときの国民生活への懸念、次代の皇室への配慮のお言葉もあり、陛下が日本国憲法で象徴と位置付けられた天皇の在り方についてどれだけ深くお考えになられているのかが窺えました。
昭和天皇もまた退位を考えられたことがありました。
日本が戦争に負け、東京裁判で確定されたA級戦犯が死刑に処せられた日、天皇は三谷隆信侍従長に向かい、「私は退位したいと思う。どう思うか」と尋ねられたのです。
「御上が、御苦痛だと思し召す方の道を選ばれては如何でしょう、嫌な事、辛い道をお選びになってはいかがでしょう」
三谷の返答が御心に触れたのかもしれません。
天皇は退位されず、昭和の世は戦後四十年余り続き、国民の生活と精神に安定をもたらしたのです。
昭和の恩恵を受けて育ち、平成を生きる人間として、今、この時代への責任感を胸に、今後も仕事を続けていきたいと思っています。
平成二十八年八月
(「文庫版あとがき」より)
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