書評

革命の奔流に巻かれた「孤士」清河八郎――藤沢周平による最長の評伝小説

文: 関川 夏央 (作家)

『回天の門』 (藤沢周平 著)

 外国からの条約締結圧力に苦しんだ幕府は、あえて朝廷に諮問した。それは責任の分散であった。諸外国の軍事力を認識しない朝廷とそれに与する大名はしきりに「攘夷」を唱えたが、空論にすぎなかった。

「開国通商」と「空想的攘夷」の板挟みに苦しむ幕府の屋台骨は、万延元年(一八六〇)の桜田門外の変を経るまでもなく大きく揺らいだ。しかしその警察組織は健在・有能で、とうに「虎尾の会」は監視対象となっていた。文久元年(一八六一)五月、外出した八郎らの行く手をふさいで打ちかかってきた手先の男の首を、八郎は居合の剣で切り飛ばして、追われる身となった。この一件で同志と妻の蓮は捕縛された。蓮は劣悪な環境で牢死する寸前、荘内藩に引き取られたが、藩邸でおそらく毒殺された。

 逃亡先の京都で、狂信的な尊攘主義者である公家侍の田中河内介と肝胆相照らしたあと、八郎は九州へ「尊皇・倒幕」の遊説を試みた。文久元年暮れから薩摩を除く九州各地の志士たちと会して雄弁をもって説得すると、翌文久二年二月下旬には志士たちは続々脱藩して京に集まり、その数三百におよんだ。しかし八郎の計画は、薩摩の島津久光が兵を率いて上京してくることを条件としていた。しかしその久光には倒幕の意志はまったくなく、上京すると蜂起をはかる自藩の有馬新七らを伏見寺田屋に討たせ、田中河内介を薩摩行きの船上で殺させた。清河八郎すなわち「策士」と人が連想するようになるのはこの一件以後である。

 江戸へ戻った八郎は時流の変化を見て「大赦」の願いを出し、受理された。それから、天誅と称する殺人が跋扈する京都の治安維持のために浪士組の結成を、時の幕府中枢板倉勝静(かつきよ)に献策した。その浪士組二百五十名が十六日かけて京に到着した文久三年二月二十三日夜、八郎は全員を集め、以後浪士組は幕府にではなく朝廷に従うと宣言した。そして輩下の若い武士たちを学習院に派遣し、強引に勅諚(ちょくじょう)を賜らせた。この大博打に八郎は勝った。

 浪士組はこぞって江戸に帰ることになったが、それを拒否して京に残ったのが芹沢鴨、近藤勇、土方歳三ら、のちの新選組の面々であった。怒り心頭に発した板倉勝静は、八郎の暗殺を命じた。それが佐々木只三郎ら七人によって麻布一ノ橋で実行されたのは、文久三年四月十三日、八郎は三十三歳であった。

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