書評

革命の奔流に巻かれた「孤士」清河八郎――藤沢周平による最長の評伝小説

文: 関川 夏央 (作家)

『回天の門』 (藤沢周平 著)

 弘化四年五月、旧家の跡継ぎたるを嫌った十七歳の元司は、出奔して江戸に出た。東條一堂の塾に入門したが、さまざまな行くたてから何度も郷里に帰らなくてはならなかった。そしてそのたびに倦怠を深めた。すると父親は、学問から元司の気を逸らすために、上方、伊勢、長崎、蝦夷などへの旅を許した。彼の見聞は深まり、視野は広がった。

 渋々ではあったが父親の許しのもとに再上府した元司は、嘉永五年(一八五二)、安積艮斎(あさかごんさい)の門に学び、あわせて千葉周作の剣術道場玄武館に入門した。二十二歳という遅い出発であったにもかかわらずめきめき腕を上げ、北辰一刀流免許皆伝をわずか八年半で受けた。こうと決めたらたゆまぬ熱意、行くところまで行かなければ満足しない性格、そうして得意の弁口で人の心を動かすことへの執着、みな「“ど”不敵」から発していた。それは彼の人生の吉凶を烈しく左右する宿命であった。

 嘉永六年、アメリカ海軍ペリー提督が四隻の艦隊を引き連れて浦賀に来航、開港・通商を求めた。武具屋が異常な繁盛を見せ、寺の梵鐘は鋳つぶして大砲にせよと幕府は命じた。翌安政元年(一八五四)一月、ペリーは幕府の回答を求めて七隻の艦隊で予告通り再来航した。そのとき清川にいた元司は急ぎ出府、神奈川まで黒船を見に行った。

 彼が安積艮斎の塾に移ったのは幕府の官学昌平黌(しょうへいこう)に入るためであったが、昌平黌の学問は彼には不満であった。日米和親条約が結ばれた安政元年三月、二十四歳の斎藤元司は清河八郎(清川とも書いた)と名を改めた。このとき彼は、学問の世界で身を立てて幕臣の列に加わりたい気持を失い、「志士」として「回天」の業に携わることを考えるようになった。彼が実家の援助を仰いで江戸に開いた学塾も、学問教授より同志の集結場所となった。

 この間、帰郷時に登楼して知った九歳年少の女性を身請けし、その可憐な風貌から「蓮(れん)」と名づけて事実上の妻とした。また脱藩浪人のほか幕臣山岡鉄舟、その義兄高橋泥舟、松岡万(よろず)らと交わって「虎尾の会」を結成した。やがて公武合体論から倒幕論に進む清河八郎だが、彼には藩の背景がなく、組織としての味方はいなかった。そこが薩摩や長州の青年たちと違った。いくばくかの同志はいても、結局は「孤士」であった。たばさんだ刀の冴えはあっても武士でさえなかった。郷士と称したが、身分上は農民であった。

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