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なぜ女は女を区分けしたがるのか

なぜ女は女を区分けしたがるのか

文:角田 光代 (作家)

『対岸の彼女』 (角田光代 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 件(くだん)のインタビュアーの理解不能な質問も、区分けと考えれば至極納得がいく。既婚の彼女にとって、同世代の未婚女性は劣った位置にあるのだろう。そう理解してはじめて、相手と向き合うことができるのだろう。

 既婚未婚、子のあるなし、離婚経験のあるなし、職のあるなし、そんなものは、焼き鳥でタレが好きか塩が好きかくらいの違いでしかないのに、なぜ女たちは女たちに優劣をつけるのかと、ずっと考えていた。女性同士の妬みややっかみが優劣を生み出すと言ってしまえば話はごくシンプルだが、私にはどうしてもそう思えない。

 ひょっとしたら区分け好きの女性がしたいのは、優劣をつけることではなくて自分を肯定することなのではないか。一昔前に比べたら、女性の立ち位置は本当に千差万別である。結婚という形態をとらないまま子を産む人もいるし、三十代で三度の離婚経験を持つ人だっている。それほど多様化した女性の生きかたを見ていると、自分のやっていることは本当に正しいのか、つまらない間違いを犯していないかと、どんどん不安になる。不安から逃れるために区分けをし、自分をランクで理解しようとする。女が女を区分けするのはそういうわけではないのか。

 二児の父と子どものいない未婚男性が、相手を区分けしどっちが勝っている、劣っていると言い出すのは見たことがないが、これはひとえに男性特有の気質によるものではなくて、男性の立場というものが、女性に比べてさほど変わらないからなんじゃないだろうか。もちろん男だって父になったり離婚したりといろいろあるだろうが、男にとってそれはあくまでプライベートの問題であって、自己肯定とはまったく関係がない。

『対岸の彼女』を書こうと思ったきっかけは、そんなところにある。一昔前は、同じ制服を着て、机を並べて、帰りにケーキを食べるかお汁粉を食べるかで延々話していられた女同士が、社会に出て数年すると、相手の立場を区分けせずしては容易に話もできなくなる。立場のまったく違う女が、立場を越えて親しくなれるのか、否か。

 大人になって、高校生のころより私たちははるかに自由になった。門限もない、宿題もない、夜を徹して酒も飲めるし、友達の家に泊まりにいくのに許可は要らない。理由があって離れ離れになった友達を、休暇を取って訪ねていけるだけの自由がある。しかしそれを大人になった私たちは自由だと感じることができるのだろうか。それを知りたかったのはだれでもない、私自身だ。

 未婚で仕事をする女、子がいて仕事をしたいと望む女、小説のなかの彼女たちが、登場人物という枠を越えて、ここにいる大勢の私や、大勢のあなたとどこかでつながってくれることを、書いているあいだも、書き終わってからも、強く願っている。

対岸の彼女
角田光代・著

定価:本体560円+税 発売日:2007年10月10日

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