書評

作家としての全存在をかけて読み解く
日本最古の古典

文: 平山 周吉 (雑文家)

『「古事記」の真実』 (長部日出雄 著)

 長部の『「君が代」肯定論』(小学館101新書)のサブタイトルは「世界に誇れる日本美ベストテン」となっている。ここでも基準は「美」である。最新刊の『神と仏の再発見――カミノミクスが地方を救う』(津軽書房)では著名な神社仏閣と並んで、子供の頃に誰でもが親しんだ小さな神社を取り上げて、その復興を訴えている。本書の第十二章で指摘しているように、敗戦直後にGHQが「神道指令」を発し、国家神道と一緒に、その土地に根ざした八百万(やおよろず)の神々を否定してしまった。それも「占領軍の「神道指令」を規定以上の拡大解釈と過剰反応で受け入れ」、「遥かな昔からその土地に根付いてきた無数の民幣小社までが、清算すべき過去の遺物となった」。その「過剰適応」から正常な状態を回復しようというのが、長部の本卦帰り、日本回帰である。

 長部日出雄の日本回帰が信頼に値するのは、本書を読めばよくわかるが、その上で二つの点を指摘しておきたい。

 ひとつは第六章「高天原は高千穂峡」に出てくる「古事記」のふるさと宮崎県の高千穂を訪れた時の文章である。「津田博士は、豊饒な平野がないことを、日向に太古の皇都があったはずのない理由のひとつに挙げられたけれど、しかし、こうした地形が、原初的な稲作においては、案外大きな生産力を持つのを、ぼくは個人的に知っている。/棚田が層をなして幾重にも重なる山峡の高千穂を、高所から俯瞰したとき、すぐにおもい出したのは、フィリピン・ルソン島北部山岳地帯の奥深い谷間にあるマヨヤオの景色であった」。マヨヤオとは長部の長兄が敗戦直前に戦死した場所である。長兄は二十三歳だった。慰霊のためにマヨヤオに何度も入った長部は、ルソン島の山奥に記紀の神話とそっくりの伝承が残っていることを知っていた。それ以上に重要なことは、長部が亡き長兄を鎮魂した長編小説『見知らぬ戦場』(文藝春秋)で、日本軍の側からだけで戦争を描くことをせず、「自分たちが生まれ育った平和な土地を、いきなり戦場にされて、悲惨な目に遭わされた人人の立場にも視点を置かなければ、あの戦争の本当の姿は見えてこない」として小説を構成したことである。

 もうひとつは、版画家・棟方志功(むなかたしこう)の伝記小説『鬼が来た』(文藝春秋)での戦後の巡幸記事の取り扱い方である。棟方志功の疎開先だった富山の新聞社は、棟方志功の「天皇拝従記」が熱烈な天皇讃美となることを予想して、もうひとり筆者をたてる。戦前に思想犯として検挙された体験をもつその筆者の文章を長部はことさら取り上げた。戦争犠牲者を前にして天皇は「つらいでしようネ」「しつかりやつてネ」としか言わない。「いや言えない事情があるのであろう。天皇の御態度のいたいたしさのみが、たぶんその言葉を無言のうちに代弁しているとみえたのではないか? わが善良なる民衆は、それを直感し、そして逆に涙を流し、合掌したのではないか。あゝ、なんという善良な日本人!」この部分に万感の思いを込めて長部は引用している。

 長部は本書で天武天皇の理想とした日本を、和語と漢語、神と仏、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)など、「唯一の価値観に偏らず、二つの中心を持ついわば楕円形の国家」であると書いている。ルソン島と富山、ここに挙げた二つの例に顕著なのは、日本とフィリピン、ストレートな尊皇と屈折した尊皇、その双方を見据えた長部の視点設定である。長部日出雄の日本回帰は、いわば楕円形の日本回帰なのだ。

「古事記」の真実
長部日出雄・著

定価:本体650円+税 発売日:2015年05月08日

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