日本のプロテスタント
佐藤 うさぎさんの本を読むと、この日本の風土の中で、プロテスタントのキリスト教というものを無理やり押しつけられた人の世界のことが、ものすごくよくわかるんですよ。セックスの一連の話をずっとテーマにしていることだって、そこに裏返された形で存在する罪の意識を感じる。
中村 ああ、あるかもしんない。
佐藤 あと、人間関係にものすごい期待があるところとか。
中村 あるねえ(笑)。
佐藤 そういうのも作品に全部出ている。人との関係性も、すごくキリスト教的です。だから、他の人は感じなくていいようなところに問題を作り出して悩んでいますよね。そして、それを見ている外側の自分を措定するとか、あれはキリスト教が入ってこないと絶対生まれない発想だと思う。
中村 みんなそう思ってるんじゃないの。それは、日本の風土の中でプロテスタントを押し付けられた人に特有な思想?
佐藤 そう思う。でも、うさぎさんの感覚は、日本から外の世界に出ていくと、欧米ではそっちのほうが主流になっているんですよ。
中村 そうだ、これも聞いてみよう。新約聖書のイエスの話の中で佐藤さんが一番好きなのは、どのエピソード?
佐藤 僕はやっぱりマタイ伝のデナリオン銀貨のところかな。パリサイ派とヘロデ党の連中が税金のことでイエスをひっかけにくるでしょう。そこで、イエスが「カエサルのものはカエサルに」と言う。二重、三重にひっかけようとしてやってくる人間とどう対処するかというところが興味深い。
中村 佐藤さんらしいね。私はペテロがイエスを裏切るところが一番好き。イエスが「あなたは鶏が鳴くまでに三度私を裏切るだろう」とペテロに言う。それで「そんなことはありません。私があなたを裏切ることはない」って、そのときは心の底から言ってるんだよね。なのに、三度目に「私はあの人を知らない」と言ったとき、鶏が鳴く。
佐藤 それで、自分がイエスを裏切ったことに気づく。
中村 最後の審判のラッパみたいに鶏が鳴く。あそこがすごく好き。その人間の弱さが。
佐藤 そのへんを文学で表すのは、やはりカトリックが強いと思う。遠藤周作の『沈黙』とかね。
中村 ああ、私、『沈黙』は読んでいないけど、映画で観た。そのときすごく印象的だったのは、転んだ宣教師が言った言葉。「日本にキリスト教は根付かないよ」と。
佐藤 「この国は根なしだ」という。
中村 そう。「ここに蒔いた種は違う植物になって生えてくる」って言うんだよね。あそこにはすごい衝撃を受けた。「じゃ、私たちがキリスト教の神だと思っているのは日本に生えた神なんだ」と。あれで、私のキリスト教観は変わったんだよね。
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