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ヴォリンガーの「ゴシック」とその現在(後編)

ヴォリンガーの「ゴシック」とその現在(後編)

文:石岡 良治 (批評家・表象文化論)

『ゴシック美術形式論』 (ウィルヘルム・ヴォリンガー 著/中野勇 訳)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

「線」についての魅力的な記述

 けれどもより興味深いのは、以下にみるような、「線」の表現運動についての記述ではないだろうか。「線は絶えず屈折させられる。その線の自然の運動傾向が絶えず妨害される。平静な線の流れが絶えず乱暴に押し除けられる。絶えず新たな表現の錯綜のなかに誘い込まれる。そのために線は、あらゆるこういう障碍によって高揚され、もっている表現力の最極点を発揮する。そして最後には、自然的な平静化のあらゆる可能性が剥奪されて混乱した痙攣(けいれん)に終わったり、何の満足も与えられずに空虚なものになって瓦解したり、まったく無意味に自分自身のなかに迷い込んだりすることにもなってくる」(本書五九ページ)。そして「北方の線」がこのように描写されたあと、「鉛筆で紙の上に線を引く」という日常的な経験の観点から、有機的な線との比較がなされる。

「美しい円い曲線を引くとき、われわれはしらずしらずのうちに内部感情を注ぎながら自分の手の関節の運動に追随してゆく。われわれはある種の幸福感を覚えながら、その線があたかも手首の自発的な活動から発生して来るように感じている」(本書六〇ページ)。有機的な美の表現が有機的感情と適応する、こうした幸福な事態が「古典的装飾」の体験であるとしたうえで、ヴォリンガーは「線の固有表現」の水準におけるゴシックを「書きなぐられた線」から説明する。「手首の意志などは全然問題にされない。鉛筆が乱暴に激しく紙の上を走ってゆく。美しい円い有機的な調和を保った曲線の代りに、強烈な表現熱に浮かされた、硬直した角ばった、絶えず中断される、ぎざぎざの線が出来上ることであろう。自発的に線を創り上げてゆくのは手首ではなくて、手首に対してみずからの運動を命令的に強制するわれわれの激しい表現意志である」(本書六一ページ)

 このような文章こそが、古典主義、自然主義を偏重してきた西洋美術の伝統を乗り越えようとする、当時の表現主義をはじめとする前衛芸術家たちを鼓舞したと考えられる。

 そして以上見てきたような、北方的装飾における表現衝動についての「追体感 Nachfühlen」が、本書後半におけるゴシック建築論と次のように結び付けられる。「ゴシック建築は、石という材料から完全に材料性棄却(Entmaterialisation)の行なわれた形態を示しており、石や感覚とは結びついていない完全に精神的な表現形態をもっている。が、同様にまた、初期の北方的装飾も、これとまったく同一の“精神的”な表現要求のために生じた、線の完全な幾何学性脱却(Entgeometrisierung)の形態を示しているのである」(本書六四ページ)

 このかなり踏み込んだ描写からうまれるのが、例えばゴシック建築についての以下のような鋭い対比である。「ギリシア建築が達成しえた表現はすべて石“とともに”、石“によって”達成されたものであり、ゴシック建築が達成しえた表現は――ここに完全な対照が確認される――すべて石“に抗って”、達成されたものである」(本書一二〇~一二一ページ)。ヴォリンガーは、ゴットフリート・ゼンパーによる「石造のスコラ派(スコラ哲学)」(本書一九〇ページ)という言明をこうした展望から捉え直すことで、スコラ哲学とゴシック建築をともに「超越的なものにむかって努力している表現意志」(本書一二四ページ)として包括的に論じていく。

[8] こうした章構成の示唆は以下の論文に基づく。けれども「数秘学的シンボリズム」に(半ば批判的に)関連付ける指摘には同意しがたい(同論文p.88.)。Ann Stieglitz, “The Reproduction of Agony: Toward a Reception-History of Grünewald's Isenheim Altar after the First World War”, Oxford Art Journal, Vol. 12, No. 2 (1989), pp. 87-103.

[9] 具体的に初版時の図版順序を本書と対応させると、まず三点ずつまとまった「図2、3、4」と「図5、6、7」が入り、以下次のように引き続く。「図8、20、22、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、40、36、37、38、39、51、48、52」

[10] [8]で挙げたAnn Stieglitz, “The Reproduction of Agony”はこの主題を扱い、第一次世界大戦直後のドイツナショナリズムとの関連について考察した論文である。グリューネヴァルトの《イーゼンハイム祭壇画》は、フランスのアルザス地方コルマールのウンターリンデン美術館の所蔵であるが、この地域は普仏戦争から第一次世界大戦に至るまではドイツ領であった(第二次世界大戦中もナチスドイツの占領下に置かれた)。奇しくも一九一七年に《イーゼンハイム祭壇画》は修復のためミュンヘンのピナコテークに移送されたのち、しばらくミュンヘンで展示されていたため、大戦後に返還をめぐり独仏両国の間でトラブルが生じた。結果として一九一九年九月にウンターリンデン美術館に返還されたが、グリューネヴァルトの図版が付加されたのがちょうどこの時期であることは、もちろん偶然の符合ではない。ヴォリンガーの図版選択に対する関心の低さは、後に触れるナチス的な人種主義への関与という嫌疑を晴らす上でも重要であるように思われる。最後の図版の違いについては、同論文p.90.の図版を参照。

[11] 年鑑として構想されつつも一号のみの発行にとどまった『青騎士 Der Blaue Reiter』は、参加画家たちの作品に加えて民衆版画や非西洋芸術の図版、そして音楽における新ウィーン楽派(シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン)の楽譜が含まれるなど、造形芸術にとどまらない広範な意義をもつ。日本語版は二〇〇七年に白水社から岡田素之・相澤正己訳で刊行。


本稿は「解説」の一部抜粋です。全文は本書巻末に収録されています。

ゴシック美術形式論
ウィルヘルム・ヴォリンガー・著/中野勇・訳

定価:本体1,210円+税 発売日:2016年02月19日

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