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『複合大噴火』解説

『複合大噴火』解説

文:三上 岳彦 (帝京大学教授・首都大学東京名誉教授)

『複合大噴火〈新装版〉』 (上前淳一郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 物語は、不気味な暖冬で明けた一七八三年(天明三年)の津軽を舞台に始まる。おりしも、老中田沼意次による産業振興がすすみ、江戸をはじめとする諸国では、学問、文化、芸術の花が開いて活気に満ちていた。そうした時代背景の中で、春から夏にかけての冷気と長雨による凶作が、未曾有の大飢饉を引き起こしたのである。

 津軽弘前では、飢えと寒さで餓死、病死する者があとをたたず、一七八四年夏までの死者は、領民の三分の一にあたる八万一千人を越えた。南部藩でも、餓死者四万一千、病死者二万四千、流民となって他国へ逃れた者三千で、合計六万八千におよんだ。飢えの極限に達した人々の一部には、餓死した肉親の遺体を食べるなど、想像を絶する悲惨な光景が繰り広げられた。

 このように、東北地方の諸藩が軒並み大飢饉で苦しんでいる中で、松平定信が率いる白河藩だけは一人の餓死者も出さなかった。江戸でも相次ぐ災害や打ちこわしで世相は混乱し、田沼意次は老中の座を定信に明け渡さざるを得なくなる。

 定信が老中に就任した翌年の一七八八年四月、フランス全土は猛烈な旱魃に襲われた上に、七月には大規模なひょう害が追い打ちをかけて、小麦は著しく減収し、主食のパン価格は異常に高騰した。翌一七八九年にかけての冬は猛烈な寒さとなり、パリのセーヌ川も凍りついた。飢えた人々はパリに流れ、至るところで暴動が発生し、ついに七月十四日のバスチーユ襲撃という結末を迎えることになる。

 飢饉の原因となった異常冷夏については、浅間の噴火によるとする説があるが、噴火が起こったのは八月上旬であり、気温の異常な低下はすでに春頃から始まっていた。著者の上前氏は同じ年にアイスランドで火を噴いたラキ火山との複合噴火が、悲劇をより大きくしたのではないかと推論している。

 天明三年の浅間の大噴火で忘れることができないのは、火山灰もさることながら、ふもとの鎌原村を一瞬にして襲った火砕流の悲劇であろう。秒速百メートルを越す速さで山肌を一気にかけ下った巨大な火の帯は、またたく間に数百人の命を奪ったのである。

 浅間山とラキ山から噴出した膨大な量の火山灰と火山ガスは、上空を吹く偏西風にのって世界中に広がっていった。厳密に言うと、火山爆発にともなって噴き上げられた大量の亜硫酸ガスが成層圏にまで達したあと、日射(紫外線)の影響によって硫酸の微粒子(エアロゾル)に変化したのである。上空に漂う火山性のエアロゾルは、太陽からやってくる日射のエネルギーを弱め、地上の気温を下げる効果がある。

 この年の六月八日朝、アイスランド南部のラキ火山が火を噴いた。一七八三年のラキ火山噴火による噴出物の量は、百億立方メートルに達したと言われ、これは同じ年に噴火した浅間山や一九八二年に噴火したメキシコのエルチチョン火山の噴出量の二十倍にも及ぶ膨大なものであった。亜硫酸ガスに富んだ噴煙は、水蒸気とともに高度十キロメートル以上の成層圏にまで達したのち、硫酸のエアロゾル(本書では「青い霧」と呼んでいる)に姿を変えて二年から三年ほど大気中にただよったために、太陽からやってくる日射のエネルギーが減少し、地上の気温を低下させたと推定される。

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複合大噴火〈新装版〉
上前淳一郎・著

定価:590円+税 発売日:2013年09月03日

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