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皿からはみ出した「かけがえのないもの」

皿からはみ出した「かけがえのないもの」

文:江 弘毅 (編集者・著述家)

『ステーキを下町で』 (平松洋子 著/谷口ジロー 画)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

 うどん屋「やまびこ」での腰の曲がった小柄なおばあさんとその娘と思しき60がらみの女性の会話はこうだ(204ページ)。

「先々代のときやったかな、むかしようここに来たんや」

「よかったな、また来られてなあ。愛想がええ店やな」

「ほんまや。ああなつかしな。ええ味や」

「おばあさん、ゆっくりゆっくり食べてや」

 また、近所に下宿してた学生のことを、「てしま」のおかみさんは、

「一日きいひんと、ちゃんとごはん食べてんのかなあと心配になってねえ」

 と回想する(206ページ)。

「皿の上だけで星をつける」などと言い訳がましいことを言って京都・大阪版をつくったのがミシュラン・ガイドだが、相当に苦労し無茶をした跡がある。なぜなら京・大阪の店としての「うまいもん屋」は、店が料理やサービスを提供し、客がそれを消費するという一義的、一方向的な関係性ではなく、うまいもん(皿の上の料理)+屋(店や街としての空間自体)の双方がコミュニケーション的に相互嵌入して成り立っているからである。

 平松さんはそのあたりを熟知し、「皿の上」からどうしようもなくはみ出したり滲み出たものこそを「かけがえのないもの」としていとおしんで抽出している。正確極まりなく記された京都弁の会話文からは、京都を長く生きてきた女性の微妙なイントネーションまで伝わってきて、映画より映画みたいだ。

 わたしはずっと関西の街や店と差し向かう仕事をしている関係上、「大阪でてっちり食べたいんですが」とか「4人で神戸の広東料理を」とか、他所からの人に訊かれることが多い。そんなときに優先するのは知り合いの店である。親戚の料理人や幼なじみの板前ならベストだ。そういう場合は、一見なのにまるで旧知の友人のようにもてなしてくれるし、客側も星や評価やグルメ情報など気にかけなくなる。

 けれども「串カツ二度づけお断りをやりたいんだけどどこがオススメ?」とか「いま心斎橋でお昼をたこ焼きにしたいんだけど知らない?」と言われると困ってしまう。串カツやたこ焼きは「どこがおいしい」というものではないからだ。それらは市場に行って入口で見かけたり、飲み屋街を歩いて出くわしたり、たまたま神社の祭りや寺の縁日で店が出ていたり、そういう類の「街の味」なのであるからだ。いうなればそれぞれの商店街や横丁の大人の駄菓子のようなものだから、どこでもしみじみとうまい。

 ところがそれぞれの串カツやたこ焼きは、グルメ情報として扱われカタログ化された時点で、「場所」と切り離されてしまうから「B級グルメ」などといったとても味けないインデックスにぶら下げられることになる。串カツやたこ焼きさらにうどんという「食情報」のカテゴリーを広げたつもりが、結局底が浅くなってしまっているのだ。

 赤羽の午前中からやってる居酒屋とスナックをハシゴしたことを書いた「朝の大衆酒場、夜はスナック」(65ページ)は安酒場の話であるが、店と客の地域社会があって働く社会があって、そこを通り抜けたあとにこそ消費社会へのアクセスがあるというプロセスを丹念に描いている。

 平松洋子さんの書く「食の場所」は、エッセイ、紀行文、ノンフィクションあるいは食文化評論といったジャンルにカテゴライズしようがない。いつも独特であり疾走感があり、それが現在進行形の大衆文学の可能性を感じさせてやまない。

文春文庫
ステーキを下町で
平松洋子 谷口ジロー

定価:704円(税込)発売日:2015年08月04日

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