神戸女学院大学は内田樹が二十一年間身を置いた場であり、彼の大きな部分を育んだ場ともいえる。そこで財政再建が喫緊の課題となったとき、某シンクタンクに再建案を依頼した。そこで調査員の一人が、「地価の高いうちにキャンパスを売り払い移転する、維持費がかかるだけの古い建物は無価値でドブにお金を捨てるようなものである(から壊して新しいものにする)」という案を持ち出す。そのとき、内田樹の中で発動したものがある。彼は長い時間かけてそれを育て続けている。
ビジネスマンは何もわかっていない。こいつらに教育を語らせてはいけないんだ、と。でも、そのときの僕は彼らに反論しようとしたけれども、ではこの建物のどこにどんな価値があるのかということを説得力のある言葉で彼らに説明することはできませんでした。そのときの悔しさを今でも覚えています。それから、無言で自分を抱きしめてくれるような、この建物の素晴らしさを、ヴォーリズ建築を知らない人に対しても説明できるような言葉を見つけ出そうと思うようになりました。
風景や建物が、人の孤独や悲しみを、癒やすでもなく「持って」くれることがある。そのとき人は結果的に、傷から癒えたりする。そういうことは、ほんとうにある。長い間あったものを、おいそれと変えてはいけない理由も、ここにある。それは自分の時間を持ってもくれていたし、記憶を持ってもくれていたし、見知らぬ先人に対してもそうであった。そこは先人たちと通いあう通路ともなる。生きている者たちはみな、死んだ者たちに支えられて生きている。それは比喩ではない。何かを変えるときは、死者たちも含めて話し合うような態度が、本当に真摯というものだろう。
そのヴォーリズ建築の秘密を、内田樹が知るのは、阪神淡路大震災後の復旧工事のときだ。それは、そのときヴォーリズ建築と設計者ヴォーリズが、内田樹に、学ぶことをゆるしたのだとも言える。復旧作業の必要に駆られ、ヴォーリズ設計の建物を一部屋一部屋全部回ることになってのこと。物言わぬ建物が、秘密を語りだす。一部屋ごとに設計がちがう、隠し廊下があり、隠し階段があり、隠し扉がある。その薄暗がりが、開けて見える初めての眺望がある。
それ自体が、学びの素晴らしい隠喩なのだ。ある境地に達したときにだけ手をかけられるドアノブがあり、開ける扉があり、それらすべては、知りたい欲求を持って実際そこに足を運び、身を投じ、扉を叩いた者にだけ許される。
内田樹の本を読んできて、「どうしてこれを一言で言えるんだろう?」という驚愕を抱くことが私には多々あった。本書ではたとえば、幼稚園から大学院まで一つのビルに収めようという学校の気持ち悪さ、魅力のなさ。これは多くの人が感じるのだけれど、言葉にできない。言えないと、お金とか経済効率とか、わかりやすい話に負けてしまう。しかし内田樹は、端的な一言にしてみせる。「自分の人生が一望されてしまうという事実がどれほど子どもの心を傷つけるか」。そう! それ! 生命保険の勧誘員が出してくるライフプランを聞いて人生終わったような気がするあの感じ、それを子どもの頃から確固とかたちとして見せられること、それがどれほど生命力を奪うことか! それが言いたかった! こんな言葉を可能にしたのは、ヴォーリズ建築物だったのか!
そして、この作家の秘密の「内容」には、秘密の作用は何もない。私が(読んだ一人一人が)、行くべき場所に行って、出会うべき人に会い、共振し、そこに「身体をねじこんで」みて初めて、世界の秘密はそれ自身を開示してくれる。
この本にはただ、秘密の探り方の秘密が書いてある。
この本自身が、世界の秘密や未知への招待状である。
ああ、「学び」とは、なんと魅惑的だろうか。
そんなことを、自分が響きのよいヴォーリズ建築物になって昔からの残響を味わうように、身体をすまして今も私は聴いている。
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