書評

一人でいても複数形――内田樹という「場」の秘密

文: 赤坂 真理 (作家)

『最終講義 生き延びるための七講』 (内田樹 著)

 内田樹の本は多く読んできた。「これは自分に宛てられたメッセージだ」と思ったこともあるし、彼のひとつの文章が私の創作の支えとなったこともある。が、本書の読書体験は格別であって、このような体験をしたことはなかった。これは、私が、解説という重圧と責任を持って読んだことを別にすれば、彼が、「場」の力と最大限のコラボレーションをしたからではないかと思う。

 内田樹にはもともと、天性の教師とも言うべき、語りかけるような文体がある。だから忘れてしまいそうにもなるのだが、これは講演録である。そして内田樹の、学校の先生としての最後の講演録集である。一種異様なまでの言葉のドライヴ感は、おそらくここからくる。目の前の人たちに対してどうしても言いたいことがあり、どうしても言いたいことを言う以外の時間はもはやない。けれど、切迫しているからこそにっこり笑ってすべてのセンサーを開き、場と最大限に交感した。「そこ」に、降りてくる話がある。それはたぶんご本人にとってさえ、意外な始まり方や接続をしたことがあるにちがいない。書き言葉の場では起きないことが起きたにちがいない。聴き手や読み手にとってはなおのことだ。意外なところからの「話の起こり」にときめき、どこへ行くんだろうとわくわくし、そうくるかと唸らせられながらときに接続してゆく話に運ばれ、常に低く流れるメッセージを意識と意識下で聴きつつ、それがあるとき、テーマ旋律へと流れこむことに驚く。怒濤のアドリブを展開しながら見事に全員がテーマへと帰っていくジャズセッションのような、語り。すべては、内田樹がどうしても言い残してはおけないこと、「教育を市場原理の場にしてはいけない」というところへ帰り、話のどこをとってもそれがある。

 そして、そう、一人の話者の話を聴いたはずなのに、セッションを体感した余韻なのだ。

 誰が話していたのだろう?

 誰と?

 この答えは、ぜひ、本書を読むという体験の中に発見してほしい。本文中によく言及されるヴォーリズの建築のように、ある境地に至ったときに初めて触れられるドアノブや、開かれる扉、見える眺望も、読むたびにあるだろう。読むたびに、ちがう倍音が響くだろう。

            *

 ある到達点には、始まりのことが、必ず同時にある。最初のことに、到達点がすでに含まれているように。

 始まりのこととは、内田樹が、こういう言葉を持ちたいと渇望した、そのきっかけのことだ。

 私にとっては、知りたかった作家の秘密がさらっと書いてあったに等しくてびっくりしたのだが、これも「場」に関することだ。第一講の舞台ともなっている、神戸女学院大学の、ある建築物――。

【次ページ】

最終講義 生き延びるための七講
内田樹・著

定価:本体750円+税 発売日:2015年06月10日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
書評ファンとして、弟子として、 崇拝者として語る(2014.12.28)
書評あけっぴろげな政治談議の可能性(2014.05.21)
書評『邪悪なものの鎮め方』解説(2014.02.04)
書評『仏教シネマ』解説(2013.10.01)
書評『うほほいシネクラブ』主な掲載映画名一覧(2011.10.19)
書評危機を生き抜くために聖書を読む(2010.11.20)
書評挑発する「27人のすごい議論」(2008.06.20)
書評棒をくわえた犬と精神の強度(2008.01.20)
書評小さな始点と大きな終点(2006.07.20)