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第12回 いま、できることのすべて

第12回 いま、できることのすべて

川上 未映子

 そしてふたつめは、バルーン。バルーンというのは、子宮口を広くするために入れる器具のことで、これは使う人と使わない人がいるみたい。入院するまえの検診の段階で、子宮口がいい感じにちょっとずつ大きくなって、赤ちゃんも子宮の下のほうになんとなく降りてきてる感じがして、「じゃあ*日にしましょうか」みたいな感じで出産の日を決めて入院し、麻酔をして、陣痛促進剤で陣痛を起こして出産、というのが無痛分娩のいちばんしあわせな流れらしいのだけれど、子宮口がなかなか開かない人というのもいて、そういう人はこのバルーンというのを入れる必要があるのだった。これが「ものすごく痛い」という人と「ぜんぜん痛くない」という人に分かれていて、わたしは完全に「そんなん痛いに決まってるやろ」派だった。

 だって! 生理痛の痛みには色々な理由があるけれど、ふだん子宮口というのは直径1ミリとかの大きさで、そこを血液が流れてくるときに生じるその痛みが主たる原因であるという話をきいたことがあるからで(わたしは生理痛がかなりしっかりあるほう)、血が流れるくらいであんなに痛い、1ミリしかない直径をですよ、バルーンという器具を入れて数センチにまでひろげる、っていうのが常識で考えて痛くないわけないじゃないか……と、これもまた、まじで恐れていたのだった。

 無痛といえども、無痛じゃないのかもしれんな。そう思いながら、ある日、わたしとあべちゃんはM医院が開催する、ぜったいに参加せねばならない母親学級と無痛分娩の説明会が一緒になってるような催しにでかけていった。

 世界各国における無痛分娩のありかた、そして歴史……などなどをスライドでみて、それから無痛分娩にまつわるひととおりの説明を受けて、わたしはふむふむとメモをとりつつ、気がつけば「一組140万円支払うとして、ここにはいま20組くらいの人がいるから、この教室だけでもざっと2800万円か……」などと、誰の売上なのか支払いなのか何なのかよくわからない計算などをしているのだった。そのあとも先生の説明に集中するのだけれど、ちょっと退屈になると気がそれて、「で、ひとつきに15人が出産するとして(なにしろM医院はいつだって超満員なのだ!)、一年間で約180人……すると180×140万円で、おおおおおもはやゼロの数がかぞえられへん」みたいな意味不明の計算などがまたもや頭をよぎったりして、これもひとつの現実逃避だったような気もするのだけれど、どうなのだろうか。違うのだろうか。違うよね。

 で、説明会の後半。とびっきりの笑顔で院長先生が「はーい!こちらをみてくださーい!」と明るくぱあんと手をたたき、妊婦とそのつきそいたちはスライドの画面に目をやった。するとそこには、人間の感じる痛みの痛さの順位、みたいな図が表示されてあるのだった。

院長「みなさーん。たとえば、切り傷、は、このあたりですね~」

 院長先生は、たてに伸びた線の下のほうをペンでさして、このあたりですね~と強調した。「で、捻挫、はこのあたりですねえ~」とその少しうえをペンでしゃっしゃっ。

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きみは赤ちゃん
川上未映子・著

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