ギリシア神話では誰もが身勝手で、収拾のつかない無秩序が渦巻いている。だが嘆くことはない。というのもこの混沌と混乱こそがエネルギーであり、豊饒の証としての愉悦にいたる源となっているからである。そしてまたこの愉悦こそが、絵画を観る快感にもつながっている。「美」には、秩序も道徳も吹っ飛ぶくらいの魅惑と快感があるのだと、中野さんは本書を通じて提案しているかのようにさえ思われる。
では神々の世界が、あまりにも人間離れしていて取っつきにくいかというと、意外とそうでもない。中野さんは、神々の様々なエピソードを、巷間で耳にするのとさほど変わらない下世話なゴシップとして、野次馬的なノリで語ってくれている。
本書第二章の冒頭を飾る、ベネチア派の奇才画家ティントレットの『ウルカヌスに見つかったヴィーナスとマルス』には、浮気の現場に夫が戻ってきて慌てる男女(ヴィーナスとマルス)が、まるで風俗画のように描かれている。このような神々の放埒ぶりに、中野さんは、こう言ってのける。いわく、「でも仕方がない。男が勝手なのと同じくらい、女もじゅうぶん勝手なのです。」
ところで絵の解釈とは何だろうか。クイズ番組のように、問いに対する正解が明確に準備されているのだろうか。もちろんそうではあるまい。
プッサン作の端正な作品『人生の踊り』は、多様な解釈を許す複雑な作品である。中野さんによれば、この作品は様々な解釈が楽しめるようにと、作者のプッサンが画中にわざと多数の謎を盛り込んだ、いわば仕組まれた絵画であるという。
その仕組まれた絵画の謎が、名探偵が犯人探しをする推理小説のように、本書で徐々に解き明かされていくのだが、それらは先人によるこの絵を巡る解釈の諸説の紹介ともなっている。
しかし嬉しいのは、それら先人達の功績をレポートして事足れりとは、されていない点である。解説者である中野さんの見解もちゃんと準備されている。こうして中野流の独自の見解をも含む様々な謎解きを読めば、今度は読者が自分で自分なりの答えを見いだしたくなってくる。
中野さんのスタンスは、これが正しい答えですと頭ごなしに教授するのとは対極にある。まずは美を楽しむための学究的な地固めをし、その基礎に立って読者の誰もが自分なりの答えを見いだせるようにと、一冊の本のなかに、美術について考えるヒントをちりばめる。
どんな絵画にも謎はある。しかしその謎への解答は、鑑賞者の想像力の中にだけある。百人寄れば百の想像力が働き、それぞれがそれぞれに自分の解答を引き出す。これが実現すれば、人の心の中はどれだけ豊かになることだろう。
ギリシア神話は、少々いたずらが過ぎても、気ままで活発なほうがおもしろいという、そんなエネルギッシュな美の魅力にあふれている。これは、世間の約束事に縛られない自由な想像力がなければ、十二分には味わえない。ところが、現代の社会が最も必要としているにもかかわらず、最も排除したがっているのが、この、世間の評判など気にしない自由自在の精神なのである。
本書がその自由の気風によって書かれた、自在の書であるのは言うまでもない。
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