フランス、イギリス、ドイツ、オランダ、スイス、アメリカ、台湾……各国の目利き達が絶賛し、作品のオファーが殺到中の刺繡アーティスト・沖潤子さん。おびただしい針目が古い布地や和紙の上を埋め尽くす作品は、狂気さえはらんでいるように見えます。ファン待望の初作品集の刊行にあたって、お話をうかがいました。英訳はこちら/ENGLISH(CLICK HERE)
――沖さんが刺繡をはじめたのは2002年ということですが、沖さんは当時40歳目前です。失礼ながら遅いスタートといえるかもしれません。それまでは何をされていたのでしょうか?
当時は会社に勤めていて、キャラクター商品の企画デザインから生産管理まで担当していました。いま思えば貴重な経験をさせてもらっていた日々でしたが、当時は自分の感覚と仕事上必要とされるデザインなどに距離があることが常に不満でした。
40歳を目前にして自分を焚き付けるように「10年後どうしているか?」ということについて、「作品をつくって生活している」だとか「次の展覧会のことで頭が一杯である」などとノートに書いて過ごしながら、デザインのコンペに応募したり、油彩の公募展に出したり、ガラス工芸を習ってみたり。自分なりの表現方法をさがして、いつも力んでいたように思います。
そんな時、洋裁をしていた亡き母が大事にしていた昔のリバティの布を、当時中学生だった私の娘がじょきじょき切って、ざくざく刺繡をして小さな手提げを作ってくれたんです。衝撃的なプレゼントでした。「ええーっあんな大事な布をこんな風に切って使っちゃったの!?」と。でも、思いに任せてただ作ってくれたものは迫力とエネルギーに満ちた塊で、「そうか、これでいいんだ。私もこうやって物をつくろう」と心が動きました。もっとシンプルにつくろうと思い至り、いちばん身近な針と糸で刺繡を始めました。
――白地の布地や紙に白い糸でひたすら刺繡してある作品を、沖さんの象徴的な作品として挙げられる方も多いと聞きます。
白糸刺繡のきっかけは、病院の待ち時間にソーイングセットの糸で刺したことだったのですよ(笑)。たまたま中に入っていたのが白い糸だけでしたので、白でしか刺せなかったんです。
刺繡は作業がとてもシンプルで、すぐにはじめられます。私には、段取りが繁雑な制作は向いていない様です。針目を進める速度が自分にあっているんでしょうね。それに、糸が横道にそれても展開できるし、こんがらがった糸を切らずにそのまま使って針目にすることもできる。無限で、そして、戻らなくていい。そこに自分の居場所をみつけたような気がします。
――刺繡とひとくちにいっても、沖さんの刺繡は、あたたかみのある手芸的な刺繡とは趣がちがいますね。
手芸の刺繡は少しは勉強したのですが、例によって段取りが複雑な制作は無理で、すぐに自己流になってしまいました。アントニ・タピエス(編集部注:スペインの前衛芸術家。初期の頃はパウル・クレーの影響を受けたとされる画家だったが、次第に、絵の具に色々な素材を混ぜて紙だけでなく糸や絨毯を使って作品を作るようになった)の作品を知ってからは、きっちりと針目を守って刺してゆくいわゆる刺繡というものにとらわれる必要もないのか、と自由な気もちになって、表現の方法として、ただただ針目を重ねているという感じで針と糸を動かすようになりました。
――巻末の作品解説ページを読んでいると、ご自身が幼い頃のご家族の記憶が、随分作品の糧となっているようです。
家族の影響はとてもあると思います。私は下絵を描かないのでその場で思うままに刺していきますが、何が手を動かしているのかといえば、口幅ったいのですが「愛」とか「死」ということなのかなと思います。「亡くなった母に会いたい」とか「でも、もし母が元気だったら私はこうしていなかったかも」とか、衝突が多かった父のことを遠ざけながら、「私は父に一番似ているのかもしれない」だとか思っているうちに、いつの間にか針目が重なって、作品になっていっているのです。心理的に近くに居る人や猫にも、家族に似た感情を抱きます。見え隠れする妄想や憎しみ、気まぐれとか、そうした感情が手を動かしているのかなと思います。足りない何かを埋めようとして「もっと針目を、もっともっと」と、いつも脅迫されているような感じもあります(苦笑)。
――『PUNK』というこの本のタイトルはどこからきたのでしょうか?
展覧会に来てくださった、ある女性の文筆家の言葉からです。作品をご覧になってくださるなり、「パンクね!」と、弾けるようにおっしゃったのです。私が「パンクですか?」といぶかしがっていると、「そうよ、パンクよ!」とおっしゃって、「パンク同盟の印に」とブローチを買ってくださった。
それまで「PUNK」ということについてよく知らなかったのに、その言葉は妙にするりと身体に入って、何かに、火をつけてくれた感覚がありました。「だいたいPUNKってどういう意味だろう」と思って調べていたら、ジョニー・ロットン(編集部注:ジョン・ライドンの愛称で腐れジョニーという意味。パンクロックグループ、セックス・ピストルズのリードヴォーカルだった)が言っていたこと、「PUNKは自分自身に忠実で居るってことだ」との言葉に行き着いて、10代、20代の私がPUNKに出会わなかった事をはげしく後悔しました。同時に、50代を迎えた今、PUNKという言葉に出会えた事をたいへんラッキーに感じました。ちょうど本のタイトルを決めるタイミングのできごとで、「PUNK」以外考えられなくなったんです。PUNKってわかりやすく表面に顕れているポーズのことを指すのではなくて、普段、何食わぬ顔をして常識的なふるまいで社会生活を送っている方にもある矜持のようなもの、これだけは誰にも屈せずに守り通さなくてはならないというものなのではないかと。そういう方のもとへ本が届けばいいなと思えてきたのです。
――そんな『PUNK』には「こんな贅沢な本がこの時代に出版されるなんて!」という声が聞かれますね。A4判で256ページ、オールカラー、しかも背は糸かがり。濃紺の函には金の箔がほどこされていて、本自体が沖さんの作品のようです。
奇跡のようなできごとです。きっとスピーディーで安価な本作りが求められるこの世の中で、1年半かけて進められた本作りの日々そのものが、パンクだったのだと思います。そして私ができることは作品をつくりつづける事だと、この本がはっきり示してくれたような気がします。針に糸を通したことのあるすべての方に、心になんらかの種火を持つすべての方に、見ていただけたら幸せです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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