幼いころに見た風景や記憶に残っている味も、この小説の読みどころの一つである。前と後ろの区別がつかないほど色黒の男、宇佐湊で獲れたサバ、四万十川の鮎の干物、養甫の丹精した薄紅色のあさがおも、昔どこかで観た風景の一片か。
最後の戦いで大活躍する高知の郷土玩具「ブンヤ」も一力少年が幼少のみぎりに夢中になって遊んだものかもしれない。弓のように大きく反り返った竹と麻で作った弦、それに鹿皮の当てを付け、その当てに包んだ石を飛ばす、いわばパチンコのようなこの武器が、元親の大軍を苦しませることになる。土地に根付き、領民から愛された玄蕃という領主が浮かび上がってくるようだ。
土佐の男はいごっそう、女ははちきんと言われる。いごっそうとは「快男児」で「酒豪」、「頑固だが気骨のある男」のことを言う。元親の前で八合の酒を飲み干し、そのうえで望みの築城を願い出た玄蕃は、まさにその気質である。女性の性格を表すはちきんは、性格や行動などがはっきりしていて負けん気が強い。前進あるのみだが、一本調子でおだてに弱いといわれる。玄蕃亡き後も落ち延び、家系を絶やさなかった養甫もまた、はちきんの鑑と言えるだろう。覇者である兄より、夫に従った養甫、そしてその両親を慕い、まっすぐに育った息子たちとの家族愛は、激動の戦国時代といえども、現代に通じるものを感じる。
とかく戦国時代の武将を主人公にした小説は大義大望を描きがちだが、人情時代小説の名手、山本一力の力点は、この時代にあっても職人や商人といった庶民に置かれている。天下国家を取るために、足元の弱き者たちを踏みにじる長宗我部元親に、時の我が国の首相が二重写しに見える。
幕末の志士に土佐出身者が多い要因のひとつにこの時代に培われた「一領具足」と呼ばれる半農半兵の兵士たちの存在があったのではないか、と言われている。一般には長宗我部元親が組織したものと言われているが、本書を読むと、玄蕃のように慕われる領主に参じるために、領民たちが進んで行っていたように思える。草莽の民は長い歴史の中で育まれていったのだろう。
二〇一四年六月二四日の新聞に「本能寺の変」に関する新しい手紙が見つかったという記事が載った。怨恨説や天下取りへの野望説など諸説のある本能寺の変だが、長宗我部元親から明智光秀の重臣、斎藤利三に送った手紙が見つかったことにより、長宗我部元親が信長に恭順を示し、戦争を回避しようとした様子がうかがえ、元親討伐の派遣を決定した信長と元親との板挟みになった光秀は元親を守ろうとしたのではないか、という説が浮上してきた。
歴史とはたったひとつの事実である。しかしその事実に向かう人の思いは千差万別だ。『朝の霧』で描かれた波川玄蕃という武将は、この物語の中でこそ生かされる。手練れの小説家の技が光る傑作である。
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