さて、一心不乱に絵を描き続けるうち、エドガーは自分の絵に、魔法のような力が宿されていることに気づく。遠く離れた人物を透視したり、さらには絵に描くことで、描かれた人物に物理的な作用を及ぼすことができるのだ。

 彼はその力を用いて、島に住む唯一の隣人で借家のオーナーでもあるイーストレイク家の使用人ワイアマンの窮地を救い、二人は無二の親友となってゆく。そしてワイアマンも、彼が仕えている老嬢エリザベスも、それぞれが過去に悲惨な体験をし、トラウマを抱えていることを知る。

 そればかりか、かつてエリザベスの一家を見舞った悲劇と、みずからが獲得した超能力との間に、ある抜き差しならない関係があることを、エドガーは次第に自覚してゆくのだった……。

 かくして物語は、おもむろに幻妖の度を深め、かつてデュマ・キーに猛威をふるった魔性のものの復活と、それを阻もうとするエドガーたちとの手に汗にぎる攻防戦へと急加速するのだが、そこから先の詳細については、口をつぐむことにしよう。妖獣怪鳥が跋扈(ばっこ)する密林、波間に浮かぶ幽霊船、ゾンビめく死者たちの群れ、廃屋と生ける人形……米国南部特有の怪奇趣味、ときに「サザン・ゴシック」とも呼ばれる趣向の数々を、虚心に御堪能いただきたいと思う。

 

 最後に、本書の単行本版に付されていた白石朗氏の「訳者あとがき」から、文庫版の読者にも有益と思われる情報を、いくつか転記しておきたい。

 まずは本書が、アメリカ・ホラー作家協会が選定する二〇〇八年度の「ブラム・ストーカー賞」で、最優秀長篇賞を受賞していること。

 ちなみに本書のクライマックス、エドガー一行が魔物の本拠地へ乗り込むくだりで、刻々と迫りくる日没(=タイムリミット)が、否応なくサスペンスを盛り上げる展開は、ドラキュラ映画において、吸血鬼退治の一行が、ドラキュラの目覚める日没を恐怖する趣向を髣髴(ほうふつ)させていて、その意味でも、この受賞はふさわしいものと云えそうである。

 さらに云うなら、地下の閉塞空間でタイムリミットに迫られる……という趣向は、われらが『リング』のそれにも通ずるものだ。

 果たして本書に、「ジャパニーズ・ホラー」の影響ありやなしや!?

 おっと、以上は白石氏ではなく、筆者の贅言。

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