書評

お帰りなさい、恐怖の帝王――スティーヴン・キング流ホラー、ここに再臨

文: 東 雅夫 (文芸評論家)

『悪霊の島』 (スティーヴン・キング 著/白石朗 訳)

 とはいえ、それは物語が後半に入ってからの話。

 キングらしからぬ静謐(せいひつ)な筆致で前半部分に描き出されるのは、凄惨な事故で片腕を喪い、糟糠(そうこう)の妻にも去られた男の再生譚である。

 建設業の世界で成功をおさめた五十七歳の実業家エドガー・フリーマントルは、乗っていた車が巨大なクレーン車と衝突、瀕死の重傷を負う。辛うじて一命はとりとめたものの、右腕を切断、両脚の複雑骨折、そして脳の機能に深刻な後遺症が残ることとなった。

 臨床心理士の勧めで、米国中部ミネソタから南のフロリダ――メキシコ湾に浮かぶ孤島「デュマ・キー」に移住したエドガーは、海辺の借家でリハビリ生活をおくるうち、不思議な衝動に駆られるまま絵筆を執り、窓外の景色を描き始める。彼の絵には、見る者を魅了する力があり、地元の美術界に騒然たる反響を巻き起こすのだが……。

 期待に駆られて本書を読み始めた私は、ここに至って、深い感慨にとらわれ、しみじみ来(こ)し方(かた)を振りかえったものだ。前半部に縷々(るる)、綴られていたのは他でもない、キング本人が先年見舞われた奇禍に関する物語でもあったからだ。

 一九九九年六月、メイン州西部の別荘に滞在していたキングは、日課としていたウォーキングの途上、脇見運転のヴァンにはねられ重傷を負った。

 それは文字どおり“人生が変わるくらいの出来事”だった。脚だけで十数カ所の骨折。肋骨は四本折れていて、背骨は八カ所にわたって剥離骨折。頭には二十数針の縫合手術を必要とする裂傷――生きていたのが不思議なくらいの大怪我だった。
(田村義進「訳者あとがき」より/S・キング『書くことについて』小学館文庫)

 ちなみに、上の『書くことについて』所収の「後書き 生きることについて」には、事故直後から五週間後の執筆再開に至る過程が、キング自身のなまなましい筆致で綴られていて、一読胸に迫るものがある。

 はじめて奥の廊下で汗まみれの午後を過ごして以後、さらに二度手術を受け、重度の感染症にかかり、いまも毎日百錠ほどの薬を服(の)んでいるが、ギプスは取れたし、仕事も続けている。ときどき書くのが辛いと思うことはあるが、脚の具合がよくなっていき、気持ちが日々のルーティンに馴染んでくるにつれて、適切な言葉を見つけて文章にする楽しみはどんどん膨らんでいく。それは飛行機が離陸するときの感覚に似ている。滑走、滑走、滑走……そして、離陸。それで、魔法の空気のクッションに乗り、世界を眼下に一望できる。このときほど幸せを感じることはない。私は書くために生まれてきたのだ。
(S・キング/田村義進訳『書くことについて』より)

 事故から九年後に刊行された『悪霊の島』は、こうした意味でも「堂々の帰還」の書となっていたわけだ。お帰りなさい、恐怖の帝王。

【次ページ】

悪霊の島 上スティーヴン・キング 白石朗訳

定価:本体1,080円+税発売日:2016年01月04日

悪霊の島 下スティーヴン・キング 白石朗訳

定価:本体1,050円+税発売日:2016年01月04日


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