私の親しい友人の中には、勘三郎の死以来、歌舞伎をまったく観なくなった、という母娘もいる。徳山芙沙子・素子の両人。私の『花の脇役』出版記念会で受付を買って出てくれた勘三郎さんの黒子役(会費のお釣りや領収書を出す)をつとめて以来、その信奉の度合は絶対のものになった。
私は歌舞伎には行くけれど、でも、『鏡獅子』で舞台上手(かみて)の襖があいてお小姓弥生が登場すると、一瞬、勘三郎かと錯覚し、『髪結新三』で黒御簾(みす)から「越後獅子」の三味線が聞え出すと、あ、中村屋の出だ、と身を乗り出し、『忠臣蔵』五段目幕あき、雨音(あまおと)がして〽……晴間(はれま)をここに松のかげ、と竹本が語る、この「晴間を」のところで、切株に腰をおろしている勘平が笠を高く上げて、初めて顔を見せるのだが、あ、やっぱり違ってる、と悲しい思いをしてしまう。
勘三郎さんの存在は私にとってあまりにも大きなものだった。初舞台の『昔噺桃太郎』からずっと観続けて、直接のおつきあいは十七代目勘三郎丈取材でいろいろ助けてもらって以来だから、実に三十年以上になる。
勘三郎さんの言動はいちいち意表をついていて斬新だったから、自分でも驚くほど、もしかして自分のことより多くディテールを憶えているのではないかとあきれるほど、思い出すことがいっぱいあった。
この度、文庫になって、また多くの方々に勘三郎さんの魅力を知っていただけることを、よかったと思っています。
解説をお寄せくださった出久根達郎さんとは、東京下町生まれの私がその御著書『佃島ふたり書房』などを愛読していて、以前何かの雑誌グラビアで、紺地白抜きの中村屋の大紋(角切銀杏/すみきりいちょう)のついた暖簾の前においでの出久根さんの写真を私が憶えていた……という、ただそれだけの御縁の不躾なおねがいを、快くお引き受けくださって、こんなにも懇切で素晴らしい解説を頂戴するに至ったのでした。とりわけ、十八代目はシャイな人だから、冗談でしか真実を語れなかったのかも、というご指摘は唸りましたし、中村屋の肺活量の少なさを哀れとおっしゃって下さる結びには泣かされました。
勘三郎さんも「相変わらずのことやってるよ。目茶苦茶やって、正解ってのを」と、さぞあちらで笑っていることでしょう。心より厚くお礼を申し上げます。
平成二十七年十月
(「あとがき」より)
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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