そして、わたし自身は、たった一度ですが、聖地と言われるキリストの生活の地にも旅したことがあります。一九六六年、初めて外国に旅したときです。このチャンスを逃したら、二度とないと思い、ローマから日本に帰る時に日本航空の事務所に行って、ルートをイエルザレム経由にしてもらったのです。その時の窓口の男性の純情な言葉が忘れられません。「悪いことは言わないから、あんなところに行くのはお止めなさい。あんな汚いところをキリスト様が歩いたはずはないんだから」というのです。笑いそうになりました。ローマから直行の便はなく、一旦ギリシャのアテネに入って一泊し、翌朝早い便でヨルダンのアンマンに飛び、そこからイエルザレムに入りました。その頃、日本人の旅行者で聖地に行く人はまだほとんどいませんでした。アンマンの空港からの道すがら、窓から見える景色に、たまらなく懐かしい思いがしました。なぜだろうかと考えたのですが、子どもの時から見てきた聖書物語などで見慣れていた、ロバに乗った人たちが行き交っていたからだと思います。初めての土地なのに、とても不思議な懐かしい思いがしました。あれは、パレスチナの六日戦争が起こる一ヶ月ぐらい前のことでした。
簡単なツアーに入り、あちこち見て歩き、最後にはキリストが十字架を担って歩いた道に沿って、大きな十字架とともに歩く「十字架の道行き」と言われる行列に加わりました。その行列がゴルゴタの丘に着いた時に、その先導をしていたフランシスコ会の神父様たちの中に日本人の方がおられ、いろいろと話して下さいました。フランシスコ会には、特別に聖地で聖書研究をする研究所があるようでした。その神父様に教えていただいたことで、忘れられないことがいくつかあります。それは、ローマ時代のまま残っている数少ない遺跡と言うカヤパの屋敷の入り口のすり減った階段です。そこに建っている教会は「鶏が鳴いた時の聖ペトロ」という名前でした。私は、あの聖ペトロの単純さが好きでしたので、その名前がとても気に入りました。鶏が鳴くのを聞いた時に、彼は、どれほど泣いたことかと思いました。
そして、もう一つ忘れられないのは、あまり知られていないようですが、キリストの時代、死刑になることが決まった人たちは、深く掘られた石室に、上からつり降ろされ、一晩そこで過ごしたということです。そのため、キリストも、そこで一晩を過ごされたに違いないと、その聖書学者の神父様が話して下さいました。もちろん、今は横から入れるようになっているのですが、その岩を掘っただけの深い穴のような部屋に、本当に素朴な小さな祭壇が置いてありました。神父様が、「せっかくですから、ここで主の祈りを唱えましょう」と言って下さり、ご一緒に祈りました。忘れられない時間でした。ここで、あの方、キリストが、一晩過ごされたのかと思うと、体中が震えるようでした。
あれからすぐに、六日戦争が起こり、それはどんどんひどくなって、今では地球上のあの地域は収拾がつかない状態です。どう考えたらいいのか、私でさえ、悩みはつきません。今もキリストが苦しみ続けておられるということだろうかと思ったりします。
この本で紹介されている好きな絵のことを書いていくときりがないほどですが、まず、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」がとても好きです。とても新しい感じがしますが、この絵が一六四〇年頃に描かれたということは信じられないようです。なんだか近所の親しい親子、という感じがします。この一連の絵を集めた小さな本をもっていますが、とても素敵な絵本のようです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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