ニューヨークのフリック・コレクションで見たドゥッチオの絵も忘れられません。小さな絵でしたが、とても素敵だと思いました。一三一一年頃に描かれたようですので、まだ中世の雰囲気があるようです。絵もさることながら、ニューヨークの街のまん中にある豪邸の中で見る名画は特別なものでした。
私は、学生の頃毎朝自転車に乗って、ミサに与かっていました。そこは古い立派な日本家屋でカナダのケベックから来られた神父様たちの東京の本部になっているお屋敷でした。そこのお座敷をそのまま使った聖堂の祭壇には、素晴らしい絵がかかっていました。印刷か模写だったのだと思いますが、素晴らしく美しいと思って毎日眺めていました。この絵がなぜか、「アヴィニオンのピエタ」という名前の絵だと知ったのは、しばらくたってからのことです。そして、この絵の実物がパリのルーブル美術館にあると知り、ブックフェアなどの行き帰りにパリに寄るようになったとき、広いルーブルの中を探しまわりました。でも、なかなかその絵には会えませんでした。どうやら、いつも展示しているわけではないようでした。探し始めて何回目かの時に、思い切って、黒人の中年の守衛さんに片言のフランス語で「私はアヴィニオンのピエタが見たくて、殆どそのために来ているのに、いつ来たら見れるのですか」と聞いたのです。しばらくやり取りしたあとで、彼は「ちょっと待っていて」と言ってどこかに行きました。そしてしばらくして、大きな鍵束をもって戻ってきて「五分間だけだよ」と言って、扉を開けてくれました。その部屋は石造りの小さなチャペルになっていて、その祭壇画として、あの絵が飾ってあり、そこはその絵のためだけの部屋でした。駄目で元々と思って言ってみただけだったのですから驚きました。彼は私をそこに残して出て行き、しばらくすると迎えにきてくれました。幸せな時間でした。
私が関わっていたIBBYという子どもの本の世界大会がスイスのバーゼルで開かれたことがありました。そこはフランスのコルマールという土地と隣り合わせで、そこの美術館に「イーゼンハイムの祭壇画」と言われる有名なグリューネヴァルトの凄惨きわまりない磔刑図がありました。阿鼻叫喚の図で、まるで気絶しそうになっている母マリアの嘆きの叫びが聞こえそうでした。そして、その裏の絵が、この本にある、復活の姿でした。でも私はどちらかと言うと磔刑図の方が好きでした。なぜだか、復活の瞬間の姿を目で見ることが難しかったような気がします。
そして、大会に一緒に参加していた夫と、バーゼルの美術館にも行きました。そこで見た、ホルバインの「墓の中のキリスト」の絵は、本当にすごいものでした。それは、ちょうど墓の中のような作りの、一人か二人しか入れないような狭い部屋で、もう死人の色に変わってきている等身大の死せるキリストが目の前に横たわっていました。狭い棚に置かれたようなキリストは、ローマのカタコンベと言われる初期キリスト教の地下墓地を思わせる作りでした。否も応もなく、見る人は死せるキリストに対峙させられるのでした。まるで死臭までしそうでした。ずっと経ってから、気がついたのですが、彫刻家である私の父がいくつかの教会のために「十字架の道行き」を作ったのですが、その最後の場面、「イエス、墓に葬られたもう」という一枚は、どこかあのバーゼルのホルバインの影響を受けているような気がしました。私たち家族がお世話になった神父様たちは、スイスのバーゼル地方のベトレヘム会という宣教会の方たちでしたので、父はその方たちから、あの絵のことを聞いていたのではなかったかと想像しています。
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