つげ義春さんの軽やかさ
戌井 つげ義春さんの大好きなエピソードがあるんです。ポケットからくしゃくしゃの丸めた紙を出して編集者に渡したことがあったそうですが、それがつげさんの原稿だったというんです。自分の作品に対してそこまで執着せずに軽やかになれるのがすごいなって。他にもこの種のエピソードはあって、『ねじ式』の中に「メメクラゲ」って出てくるじゃないですか。あれ、もともとはつげさんは「××(ばつばつ)クラゲ」って書いたんだけど、編集者が「メメ」って読んじゃったから「メメクラゲ」になっちゃったらしい。自分の作品に自信がないわけではないけど、強固な何かを持っているから、その他の部分は軽やかになれるんだな、みたいなことを思ったんです。亀岡の場合も多分芯はあるけど、それ以外は「メメクラゲ」でいいですって感じなんじゃないですかね。
横浜 そうそう。
戌井 僕自身も、そんな感じの人になりたいという憧れがあるんでしょうね。僕の場合は、だいたいいい加減な方に行っちゃうけど(笑)。
横浜 こだわりポイントと、ある程度いい加減にするところの境目はどうやって保持するんですか? 戌井さんは、ここできっちり線を引こう、みたいに気張ってないですよね。
戌井 意識的に考えるっていうよりは、たぶんこうじゃないかな、というあいまいな境界があるんじゃないかな。
横浜 俺のスタイルはこれだ、みたいな?
戌井 それはないですね。「俺のスタイル」が見えそうになったらちょっとやめてみる。小説の登場人物の名前を考えるときなんかも、なるべくこだわりがないようにしようと思って、競輪の出走表を見ながらつけたり、実在の映画監督の名前をちょこっと変えたり。例えば染谷(将太)君演じる「横田監督」って出てきますけど、あれは横浜さんから一字いただきました(笑)。
横浜 「横」が付くから一瞬あれっとは思ったんですけど。
戌井 でも、わざわざ自分の意図を入れないようにしている時点で、逆説的に面倒くさい奴なのかもしれませんが(笑)。横浜さんはそのあたりどうですか?
横浜 私はそういうことを全然考えてなくて。
戌井 それは自然体ってことですか。
横浜 そんなポジティブじゃないです。本来監督って、演じることがすごく重要なんですよ。あの黒澤明さんだって、監督としての自分を演じ続けていた。多分そうやって人を動かしていたし、そうでないとあんな映画は作れないと思うんです。腹から声を出すだけでも、人の受け取り方は違いますからね。でも私は、役者の近くに行ってボソボソ喋っちゃう。
戌井 逆に「エッ? いま何て言ったんですか」って聞かれたりしませんか?
横浜 聞かれます。
戌井 でもボソボソ喋ってたら、ちゃんと聞こうって思ってくれるかもしれない。
横浜 だからといってみんなが聞いてくれるわけでもないですし。全然喋らない監督もなかにはいますけど、それはスタッフや役者に考えさせるっていう明確な意図があるわけで、私はまだそこまで行けてないです。監督をどう演じるかが目下の自分の課題です。
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