親から子への最後の教え
親が子へ最後に教えられることは、自ら老いていく姿を見せてあげることです。
老いるというのは、だんだんくたばってく、ということ。だったら、自立できない弱い生き物に変わってゆく自分の姿を、子どもに晒したらいいと思うの。子どもに迷惑かけたくない、なんて遠慮しなくてもいい。だって、かつて子どものオムツ替えてやったんだから、そのくらいの迷惑をかけてもいいじゃない。
子どもにしてみたら、知らない他人が老いても実感が湧かないだろうけど、自分の親が老いてゆくのを目の前で見れば、やがて自分も同じようになると切実に実感し予期できる。それこそ、親ができる最高にして最後の教育なんです。
「おひとりさまの老後」から「在宅ひとり死」へ
私のいちばん新しい研究テーマは「在宅ひとり死は可能か」というものです。ひとりで生きてきたんだから、ひとりで死んでいってもいいじゃないか、って。
おひとりさま、イコール独居、イコール孤立、というのは、本当に勘弁してほしい。おひとりさまだから孤独ということは、決してない。そもそも、高齢者のみならず、中年、若い世代でも、独居者は否応なく増えているしね。おひとりさまでも、支え合える親戚か友だちか知人がいて、完全に孤立していなければ大丈夫。金持ならぬ「人持ち」なら、なんの問題はないんです。
ずーっとひとりで暮らしていって、元気なうちはいいけれど、後でどうなるか分からないよ、と脅してくる人も多い。けれども、だんだん弱って、だんだんヨタって、ある朝、死んだっていいじゃない。「おひとりさまの最期」という本にもくわしく書きましたが、だから孤独死と呼ばず、在宅ひとり死と呼んでほしいですね。
ひとたび利権構造ができたら、止まらない
システムが出来上がってしまったら慣性で動きます。そうすると全国津々浦々、利権構造がはびこり、やめられない、止まらない。
いったん既得権益集団ができたら、組織は自ら内部改革で変わることは、ほぼありません。大組織に、自浄能力はないですから。そのことを私は、大学という組織のなかで痛感しました。
では、変革はどこから来るか。それは、外からしか訪れません。原発事故はある意味、外から来た危機、いわば大きな外圧でした。本当は、このうえない変革のタイミングだったのですが……。
歴史的にみても、権力構造の核心部にいる人たちが、自ら変革を起こして変わったことは皆無に近いです。明治維新もそうだけれども、周辺にいた人が、権力中枢が無視できないくらいの力を蓄えていって、いつの間にか宿主と交替する。そのシナリオしかありません。だから、お前は組織のガンだ、と言われたら、むしろ喜んだほうがいいかも。あ、でもガンは宿主と一緒に滅んでしまうから、宿主の外側にいないとですね。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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