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『蟬しぐれ』は稀に見るとしかいいようのない、青春小説である。
青春小説といえばいつの世にもぞろぞろと生産されるもののように思われがちだが、じつはそうではない。文学としての青春小説はこれだ、と指し示すのが難しいというのが実情ではないか。とくに日本の近代小説の世界ではそれが実情である、といいたくなる。
たとえば夏目漱石の『三四郎』は、青春小説の代表的な作品として定評がある。しかし、これとても不満、あるいは不足の感じが残るのは否定しがたいといえる。
丸谷才一は『闊歩する漱石』中の一章「三四郎と東京と富士山」で、この小説を、始め、半ば、終りの三部に分けた上で、始めの部分を絶讃し、半ばの部分はどうも精彩を欠くと指摘し、要するに小説の後半部分は話が朦朧(もうろう)として鮮烈な感銘が残らない、といっている。その通りであろう。
登場人物はもっと積極的に行動するのでなければならないはずだが、三四郎は初心(うぶ)な青年で慎しみ深いから、自分から進んで美禰子に何かする、ことがない。さらなるは、美禰子の在り方。当時の日本では、中流階級の娘から男に迫ることなどは普通はあり得ない。丸谷は、だから「……風俗の現実を重んじ、わりに写実的な味でゆかうとする以上、美禰子に奔放な行状をさせるわけにはゆかない」とていねいに説明している。
さらにその上で、漱石はドラマを毛嫌いしていたふしがあり、『三四郎』が若い男女のドラマである恋愛小説にはいよいよなりにくかった、ともいっている。
この漱石のドラマ嫌いということについてはいま脇に置いて、明治末期の風俗として三四郎と美禰子の恋愛が成立しがたかったという事態はぜひ記憶にとどめておきたい。時代が、若い男女二人の関係を朦朧とさせているとすれば、江戸時代中期(と思われる)、東北の一隅にある海坂藩では(架空の藩であるとしても)、若い男女の恋が成立するのはさらにさらに厳しいと考えられる。しかも、『蟬しぐれ』の二人、文四郎とふくは、小禄の下士とはいえ武士階級に属しているのである。
江戸時代、とりわけ武家社会では、男女のことに関してはさまざまに大きな制約があった。藤沢周平はその制度的制約をきっちり守りながら、またときには制約を巧みに利用しながら、文四郎のふくへの思いを独自のしかたで書き切っている。そのことによって、『蟬しぐれ』が稀にみるほどの青春小説になっているのだが、それについてはこの解説がもう少し進んだところで詳しく考えてみることにしたい。
『蟬しぐれ』を青春小説にしているもう一つの要素は、牧文四郎、小和田逸平、島崎与之助という三人の若者の友情物語であることだ。物語の流れとなるのは、文四郎十五歳のときから、二十一歳までで、その間、三人の友人関係はいよいよ緊密につづいている。しかも、お福さまと呼ばれるようになったふくの命が危機にひんするクライマックスの事件では、この三人が力をあわせて対処する。ここにいたって、友情とひそかな恋が物語のなかではっきりと絡みあうのである。
ついでに記しておくと、小和田逸平は百石の家の後継で、文四郎より一歳上。与之助は蝋漆役という小役人の家の者だが、十五歳の秋にその秀才ぶりを見こまれて江戸に留学、葛西塾に入る。文四郎と同年齢である。
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