本書の第一の特色は、従来巷(ちまた)に流布(るふ)してきた新選組にまつわる俗説を木っ端微塵(こっぱみじん)に排除し客観的事実に迫っている点にある。卑近な例では沖田総司(そうじ)は美男子ではなかったなどのこまかな例証もあるが、何と言っても圧巻は「池田屋事件」の真相への肉薄ではないか。
土方歳三(ひじかたとしぞう)らが会津藩などとともに池田屋へ遅参したのは京都の街の造り、とりわけ料亭や旅館周辺は迷路のようになっていて攻撃側に不利な設計であるためとする。
「家と家との間を走る半間ないし一間幅の路地に踏みこむと」「突き当たりに料亭の明かり」があったかと思えば「別の家の前庭」だったり。
実はこの話も中村氏が実際に京都に取材し、その興奮さめやらぬ直後に新宿で飲んだとき実演入りの講釈を聞いた。京都で活躍した志士らの隠れ家には必ず鴨川(かもがわ)へと至る地下道が延々と掘られ「秘密の抜け道」になっていたという。そのため探索側は、敵の待ち伏せを警戒しながら一軒一軒虱潰(しらみつぶ)しに調べるという「宿屋や茶屋の御用改めには、より慎重な進退が必要」(第四章)だった。
また山崎烝(すすむ)のスパイ説は全くのデタラメでその痕跡もないこと、また長く謎(なぞ)とされてきた山南敬助の切腹理由にしても「近藤・土方の横暴ぶりに対する諫死(かんし)」ではなかったかという。従来、山南はニヒリズムに陥ったという説が有力だったが、これまた俗説排除である。こんな話が山のように、しかもさりげなく詰まっているわけだから本書はうっかり飛ばし読みが出来ない。
第二に「中村史観」と言ってもいいのは、結局新選組は近藤勇(いさみ)あっての物語であるという考え方だ。中村氏はこのような文脈から土方歳三を主人公とした幾多の時代小説を柔らかく批判している。
「男のロマン」という観点からすれば土方歳三は五稜郭(ごりょうかく)まで戦って乱戦の中に死んだ。しかるに近藤は何故、途中の流山(ながれやま)で新選組を投げ出したのか、武士として情けない。これが司馬遼太郎『燃えよ剣』やら安部公房『榎本武揚』を貫く副次的なテーマだ。しかし著者は沈着冷静に近藤勇の幼きときからの美意識形成の過程を辿(たど)りながら近藤勇の死生観を論理的に引きだしていく。
また近藤勇の剣の流儀は天然理心流である。「北辰(ほくしん)一刀流」が大人気を呼んでいた時代に「古武道の伝統を引き継ぐ天然理心流は、稽古にも竹刀ではなく木刀を用いる」くらいの田舎剣法。それ故に「自然と握力も腕っ節も強くなる」「相打ち覚悟の剣法」だった事実が力説される。近藤の人生観の基礎はこの辺りにあるのだ。
その上、近藤は読書家で思想に明るく、『三国志』の英雄・関羽(かんう)を好んだという。後にジャーナリストとなる旧幕臣の福地源一郎がある日、近藤勇の部屋を訪ねると読みかけの頼山陽(らいさんよう)『日本外史』が置かれていたともいう。
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