そこで氏は「今宵の虎徹(こてつ)は血に飢えている」などという台詞(せりふ)を近藤に言わせるのはチャンバラ作家の創作か巷説(こうせつ)でしかないとし、「人斬(き)りが飯よりも好きだった乱暴者」というイメージを打ち消し「文武両道を心がけた珍しいタイプの武人だった」とするのだ。
このような事実関係を中村氏は地方図書館の蔵書や郷土史同好会の研究論文まで八方手を尽くして探し出し、客観的に証明してゆくのだから並大抵の作業ではあるまい。丹念に実証が提示されたからこそ、「禄位(ろくい)拒否を二回」繰り返したあとにようやく若年寄待遇を拝命するに至る近藤の苦渋に満ちた決断の軌跡も窺(うかが)える。近藤の「本意はあくまで攘夷(じょうい)実行にある、とする自己の思想を貫いた」一直線の姿勢が了解出来るのである。
第三は大局を把握する「括(くく)りかた」の巧みさで、作家が最も苦心する本筋と挿話の「接続」がじつに円滑なのである。
「外に幕権の衰微と薩長(さっちょう)連合の成立を見、内に隊士たちの相つぐ死と志気の低下という『組織の病』を抱えていた新選組が、佐幕(さばく)派武闘集団として最後の意地を見せた」のは「三条制札事件」だったというさりげない括りかた一つを取り上げても、読者はたちどころに時代の節目におきた悲劇を感得出来る。
すると新選組の象徴だった近藤が流山でいとも簡単に官軍側に降伏してしまったことも、「戊辰・箱館編」第九章以後を読めば論理的にも心情的にも得心できるのである。
鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)に敗れ、新選組も江戸へ引き上げるが、幕府は近藤を旗本として登用する。「甲陽鎮撫隊(ちんぶたい)」は途中で隊士を増やしたが日野へ錦(にしき)を飾る行軍でもあったため、甲府入りが遅れてあえなく官軍に敗れた。ついで会津藩を頼る前に下総(しもうさ)流山に出向くのは勤王佐幕色が強い「上総(かずさ)、安房(あわ)方面をめざし、そこで態勢を立て直そう」という思惑があったため――この文脈から中村氏は後に上総請西(かずさじょうざい)藩の青年藩主・林忠崇(ただたか)を主人公とする『遊撃隊始末』『脱藩大名の戊辰戦争』などの名著を産むことになるのだが――このような行動目的を単なる推定ではなく幾多の資料を駆使して実証する。あらゆる場面展開に、このようなスタイルで大局を把握する文章が挿入されている。
第四は何と言っても「資料」を読みこなす当代随一の技量。これはただごとではない。
さりげなくしかし確信に満ちた新説をこれほど夥しく配備できるのはたとえば『秦林親日記』(篠原泰之進<たいのしん>)などの資料もさりながら、遺族がようやくにして公開を考慮し出した隊士たちの手紙の類(たぐい)までを丹念に収拾分析してきた蓄積の成果であろう。中村氏はたとえば二本松藩大目付だった黒田伝太の回想録を『二本松市史』にみつけだし、新選組が会津防衛の際にどういう軍事作戦を採ったかを再現してみせるのだ。
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