書評

前進する育児……それはなんと陳腐で、なんと本質的なんだろう

文: 伊藤 比呂美 (詩人)

『はるまき日記 偏愛的育児エッセイ』 (瀧波ユカリ 著)

 帰り道、日差しがまぶしそうだったので、ベビーカーの日よけを下ろして家路を急ぐ。日よけのメッシュ部分から、泣き疲れて眠るはるまきの顔がちらちら見えるのだが、それがいつものはるまきと違う顔に見える。ついつい何度も日よけをめくって確認した。確認しても確認しても、違う赤ちゃんを持ち帰っているんじゃないかという気になって、怖かった。もし違う赤ちゃんだったら、私も違う私になってしまいそうな気さえした。
 つまりは、はるまきを育てている私が私であって、はるまきを育てていない私は私でない、というところに今の自分は立っているのだ。私を私たらしめているものが私自身ではなく、別のいのちだなんて! 最早、「等身大の私」なんてものは存在しない。――2月9日(水)

 ここだ。この意識を持っていたんじゃ、四コマ漫画は描けないと思いました。江古田ちゃん的な四コマ漫画は、まさにこの自分自身という意識があってこそだ。でもまた、この意識を持ってなくちゃ子どもは育てられないんです。これこそが、母親になるということの本質。しかし瀧波さんはこうつづけて、吹っ切るのを忘れません。

 さりとてそれも今だけのこと。ランチタイムはセットメニューのみの取り扱いで、単品での注文は不可のお店みたいなものだ。いつかはお昼が終わって、私はまた単品に戻るのだろう。――2月9日(水)

 年月はずんずん進む。はるまきもずんずん成長する。

 やがて、2011年3月11日になる。はるまきは6ヶ月です。

 平凡な事態は一変する。2011年3月11日、三種混合の予防接種を受けに家族そろって出かけた帰りに、一家は地震に遭った。親としての意識はがらりと変わる。ここで瀧波さんがしぼり出したことばが、こんなことばでした。

 私達のすべきことははるまきを守ることだ。――3月11日(金)

 なんと陳腐な。しかしなんと本質的な。

 親というものの本気を、このみじかいことばが端的に、そしてどんなにことばを尽くすよりも切々と、あらわしている。こんな気持ちで、古今東西の親たちは子どもを守って生きてきたんだと思う。でもときどき、守り切れずに子どもたちは死んでいった。

 まぶたの裏に、どんどん弱って細くなって動かなくなったはるまきが現れて、体がきゅっと硬くなる。――3月14日(月)

 とても切ない。そんなにもろい命だから、もろいからこそ、子どもはわたしたちをひきつける。

 親としてぎゅっとコブシをにぎりしめたような、不安いっぱいの繰り言は、多くないです。たいていはまたいつもの観察、はるまきのうんちや言動に終始する。日常はつづいていきます。はるまきはどんどん育っていきます。そしてどんどん可愛くなっていきます。……と、このように他人の子どもだから、客観的に言えるんですが、30年前、わたしは自分の子どもについて、そんなことは言えませんでした。言いたくもなかったんです。

 時代は前進したんだなあとしみじみと思います。たまに後退してみんなで困ることもあるが、この場合は前進です。

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はるまき日記 偏愛的育児エッセイ
瀧波ユカリ・著

定価:本体600円+税 発売日:2014年12月04日

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