これは、うまく説明できません。
そうですね、神サマの話にたとえましょうか。
たとえば、音楽というのは、神への供物(くもつ)なんですね。
どこかにいる神サマへの捧げもの。
自分の、肉や、想いや、様々なものをそこで、投げ出して、贄(にえ)とする行為ですよ。
そういうところが、講演をしたりすることとは、ちょっと違っているのかなという気がしています。気がしているだけなのかもしれませんけど。
でね――
そういう時、自分が、神への供物として、あるいは贄(にえ)として、ふさわしいのかどうか――それを考えてしまうんですね。
お客様のいる前で、そういうことをするにあたいするだけのものが自分にあるのかどうか。
不安になりますよ。
上手にできるかどうか。
失敗しないかどうか。
人の前に立って、神の前に立って、何ごとかをする人間として、自分はふさわしいのか――
そういう思いに、襲われて、足が震えそうになって、逃げ出したくなる。
でも、その時間がどんどん近づいてくる。
その時にね、肚(はら)をくくる瞬間があるんです。
どうなってもいい。
言いわけしない。
自分にできることを、全力でやる。
それしかない。
急にね、そこで、肉体がうらがえってしまうような感覚と言うんでしょうか。
その、自分が、何者かになる瞬間に立ちあうというのが、なんともなんとも、凄い体験だったのですよ。
で、日本に帰ってからも、Kyが日本にやってくる時には、一緒に何かをやる――つまり、人前で何かを朗読するというようなことをやるようになってしまったんですね。
能楽堂でやったり、ジャズバーでやったり、色々なところでやりました。
昨年は、なんと、作曲家の松下功さんのお誘いを受け、藝大の奏楽堂で、ピアノの山下洋輔さん、尺八の山本邦山(ほうざん)さん、ヴァイオリンの松原勝也さん、こんな凄い方たちと一緒にやらせていただきました。
夢のような時間でしたよ。
違う宇宙で、魂が遊んでいるような時間でした。
で、今年は今年で、十月に京都の下鴨神社でやりました。
Kyの他に、ピアノのバート・シーガー、ベースの吉野弘志、ドラムの池長一美――ぼくを合わせて、六人でやりました。
ゲストのトークは、文化人類学者の小松和彦さん。
朗読したのは、陰陽師の『霹靂神(はたたがみ)』。
博雅の笛と、蝉丸法師の琵琶、そして霹靂神の宿った制吒迦(せいたか)童子の鞨鼓(かっこ)が、晴明の庭でセッションをするお話です。
場所は、賀茂氏にゆかりある下鴨神社です。
出だしが、
「秋の陽差しの中で、菊が匂っている」
ですので、会場には菊の花も用意したりいたしました。
これもまた、楽しい夢のような時間でありました。
今回のあとがきは、その報告をしたかったのでありました。
それでまた、来年は来年(二〇一四)で、こんどは、五月に高野山(こうやさん)で、似たような空海をテーマにした朗読コンサートをやる予定になっているのであります。
予定ですよ、予定――
実現すればいいなと、思っております。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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