本書は『平成講釈 安倍晴明伝』(中公文庫・平成15年)を改題したものです。当該文庫に寄せられた晴明神社の山口琢也宮司(当時は禰宜)の解説文を再録して公開します。
バチが当った。こんなド素人の私が本の解説を書こう事になろうとは。真に「バチ当り」に違いない。私のお仕えする京都・晴明神社御祭神安倍晴明公が、中央公論新社を依代(よりしろ)として「ワシをダシにした小説で大儲けをしておる輩(やから)がおるらしい。禰宜(ねぎ)のおまえがしっかりせんからぢゃ。世を糺(ただ)せよ」との御下命であろう。「それなら作家にバチを当てて下さいよう」などと口応えせず、只管(ひたすら)「へっへー」となった次第である。いや待て、これは獏さん流のバチかも知れない。ああ、あの時食事に招待しなかったからか、昨年既刊の本(『安倍晴明公』晴明神社編)の執筆料が安すぎたのか。でもそれはK社のせいでしょ。いや御婦人同伴でお参りの際、おみくじ位はサービスすべきだったのでは……。もしかしたらこれが噂の「呪(しゅ)」か。
何(いず)れにせよ、神社もこの平成十五年が御鎮座壱千年祭を斎行する佳節である。御神縁と思い筆を進めたい。
そもそも私は、神職がこんな事で良いのかという程活字に馴染みがない。従って少年時代に親に買って貰(もら)った「児童文学全集」だの「日本文学全集」といったものは、あの固い箱からお出ましになった事もなければ、漱石、藤村でさえ繙(ひもと)く経験なく、昔日(せきじつ)の偉人という認識しかない。まさにこれこそ新人類――少し古いか――、神社界のニューウェーヴ――もっと古い――と呼ぶに相応(ふさわ)しいと勝手な言い訳をしていた。
しかし、昭和六十年代あたりから徐々に「晴明ブーム」がやって来ると事情は急変していく。所謂(いわゆる)「晴明本」、「陰陽本」の類(たぐい)のものが書店に並ぶ様になってくると、さすがの私も目を通さないわけにもいかず求めて読む。読み終えぬ内に次のが発刊され、又、読む。日露戦争での旅順二〇三高地の皇軍も如(か)くやと思われる勢いで出版される為、俄(にわか)読書中年(それもカルトな)が誕生するはめになる。が、その作業の内実は、「神様の事を悪さする奴はいねえか」、「出鱈目(でたらめ)ばかり言う会社は何処(どこ)ぢゃ」、「断りもなく写真を使う自称ライターは誰ぞ」といった事に多くのエナジーが振り向けられていた。初めて獏さんの著作を読んだ時もそうだった。私のスタンスは。
何故なら、獏さんがずっーと前からエロやバイオレンスの大家として既に売れっ子であった事も全く知らなかったし、仮に知っていてもエロはともかくバイオレンスには食指を動かさなかったろう。ところが多くのファンがそうである様に、彼の作品の行間に両足をはめてしまう。あらゆる場面で自分が鳥瞰(ちょうかん)し、俯瞰(ふかん)する。登場人物に頷(うなず)いたり怒ったり、又「今の処(ところ)、分かり難いんでもう一度お願いします」てな言を発する事すら有る。で、新刊は何時(いつ)、何処の出版社かといった具合で、まるで帰り道で待ちぶせする荒井由実の様。一人前の獏パーンチ・ドランカーである。
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