元来が不器用なせいか――、
長編、短編を問わず、一時(いっとき)に、一作しか物語が書けない。同時に何作もの作品を並行して書きこなせる人たちがうらやましくて仕方がない。
だが、これも才の足らざるためか、性分のなせるわざと、あきらめている。
そのかわり、物語の主人公に対する思い入れは人一倍強い。その調べ方も、念には念を入れているつもりである。
そこで困るのが長編の場合である。
長編小説の執筆は長旅に出るようなもので、途中の取材の車窓で、美しい風景、おもしろそうな事件、あるいは魅力的な人物に出くわしても、途中下車ができない。
くやしいが、当初のストーリーの流れを大事にして、素通りするしかないことになる。
書き終わった後で、
「ああ、しまった。あそこで途中下車すればよかった」
「あの人とは、もっと話し込むべきだった」
と、思い直して後悔する。
この文庫に収録した四つの短編の主人公は、これまで書いた長編小説で、置き去りがたく、捨て去りがたく思いながら、書き残した人物である。
長編では、数行でかたづけられた脇役的な人物、あるいは名前を記すだけにとどめざるをえなかった者たち。だが、人生という芝居でも、大根役者が殿様、名優が下僕や、無名の人であることはよくあることである。
まして、騒乱の戦国では、この脇役あってこその英雄という事例は、あまた潜んでいる。それが歴史の「ほろ苦さ」であり、「隠し味」であり、また歴史小説の醍醐味であろう。
第一編「平手政秀の証」の政秀が、まさにそれであった。
デビュー作『信長の棺』の執筆中、その調べた史料では、信秀(信長の父)に、信長の傅役(もりやく)を命じられた。が、長じても、信長は、幼時から続く奇行が収まらず、それを苦慮した末に切腹して果てた――だけの堅物である。
しかし、調べていくと、政秀の自裁は、信長二十歳のことである。
「今更、素行不良をいさめる年齢でもあるまいに」
「信長が、うつけでないことは、抹香を投げた後、別途、きちんと、僧侶を招いて葬儀を営んでいることから明らかではないのか」
というのが、執筆途中の私の、最初のつぶやきであった。
しかし、デビュー作が、予想外の注目を浴びたことで、前へ、前へと進み、羽柴秀吉から明智光秀へと作品を展開せざるを得なくなってしまった。このため、政秀の解明が遅れたというのが本音である。
書き残すこと十年。
ここに明らかにしたその自害の真相は、史料とは全くかけ離れたものである。
どちらが正しいかは、読者の皆さんの判断を仰ぐしかない。が、執筆者としては、これでようやく納得、政秀も安眠してくださっているだろうという心境にある。
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