- 2014.11.18
- インタビュー・対談
ラヴかヘイトか、賛否二分の問題小説! 『二十五の瞳』とは何だったのか 樋口毅宏(作家)×新井見枝香(三省堂書店有楽町店)
「本の話」編集部
『二十五の瞳』 (樋口毅宏 著)
ジャンル :
#小説
震災後に東京を逃れ、立ち寄った小豆島で生まれた物語。著者・樋口さんにとっても思い入れの強い本作が文庫化されたことを記念して、樋口さん、そして盟友にして三省堂書店の名物書店員でもある新井見枝香さんに対談をしていただきました。デビュー時に度肝を抜かれて以来樋口さんを応援し続けているという新井さんは、果たしてどんな感想を口にするのか……?
小豆島を舞台にした四つの物語
新井 第一話が「別冊 文藝春秋」に載ったとき、あんまり面白くて驚いたんですよ。これ、大傑作になるんじゃない? って。
樋口 ありがとうございます!
新井 それが単行本になって通しで読んで、ほんと困ったな、と(笑)。これを一体どうやって売ればいいんだろうと。
樋口 僕の本はみんなそうなんです。でも売れない!(笑)
「雑司ヶ谷生まれの自滅型小説家、へんたい樋口毅宏さんが、またしても問題作を書いてしまった!!」「小豆島を舞台にした四つの物語と、多分普通の人は書かないだろうことを書かずにはいられなくて書いちまった序章と終章からなる文学作品。ラヴかヘイトか、感想まっぷたつ確実な一冊だ」
新井 当時、店で配ったフリーペーパー「小豆島新聞 第一号」にも書いてますね。ラヴorヘイト、どっちか。他の書店員さんたちとも、すっごくいいんだけど、いわゆる売れる小説ではないよねって。
樋口 今までタランティーノをやってきたけど今度はヴィスコンティだ! って、かなり気合を入れて書いたんですけど……。ヴィスコンティってあれですよ、『山猫』とか撮った映画監督ね? 僕にしては珍しく、エロシーンだって封じたし。
新井 そもそもなぜあの第一話から、ああも飛躍していくのか。
樋口 あ、新井さんは第一話の流れで続いていくと思ったんですね。
本作では小豆島を舞台にした壺井栄の名作『二十四の瞳』を下敷きに、平成・昭和・大正・明治と時代を遡りながらそれぞれの時代に起こった出来事が各話ごとに描かれる。第一話「あらかじめ失われた恋人たち」では小豆島出身の人気キャスター・大石久子と、時代の寵児となりつつある中国人の起業家・宋永漢を軸に物語が展開される。
新井 長編を期待してしまう、それだけの設定だったし、濃いキャラクターで。これからどこまで連れて行ってくれるんだろうこのお話はってわくわくしてたら、このふたりの話は一話で終わっちゃうんですよね。
樋口 『民宿雪国』でも言われました、第一話がいちばん面白かったって(笑)。
新井 もちろん二話以降も面白いですよ。面白いけど、第一話は、それぐらい期待が膨らむ出来だったと思う。あと本になって驚いたのが、序章と終章が付いていたこと。それも、この作品が書かれる前後にあった本当の出来事が……。
「二〇一一年三月十五日、僕は妻に土下座した」で始まる序章では、東日本大震災の後、放射線の届かないところまで逃げようと必死で妻を説得する樋口さんの様子がつぶさに書かれている。そして福岡へ、そこから小豆島へ。そこで樋口さんは『二十五の瞳』の着想を得るとともに、妻との関係が破綻しつつあることを自覚する。
樋口 連載している段階ではそこまで書くなんて思ってなかったんですよ。普通に第一話から第四話まで掲載して終わり。でも、本にまとめる段階で振り返ってみたとき、ここまで実在の人物に着想を得ておきながら、自分のことを書かないってフェアじゃないなと思ったんです。『二十四の瞳』の関係者にしても尾崎放哉にしても、あれだけ血を流してもらっているのだから、自分の肉も切って見せなきゃって。
新井 樋口さんは本当にフェアであることを大事にするね。『テロルのすべて』が出たときに話を聞かせてもらったときも、自分だけ無傷なまま何かを言ってる小説は信じられないって言ってたよね。
樋口 そうなんですよ。いつも自分なりの筋の通し方をしてるつもりではあるんです。だから終章では、妻との別居のこと、そして離婚のことも正直に書いた。さらに、2014年1月に刊行した『甘い復讐』に収録した「余生*」ではその後の話も書いたんですよ(*『二十五の瞳』刊行後に取り付かれた不安、受けたガンやHIV検査のこと、恐れの根本にある過去の体験、もっとも恐れていることなど赤裸々に胸のうちが綴られている)。僕が読んできた小説っていうのはそういうものだったんです。島尾敏雄の『死の棘』や檀一雄の『火宅の人』とか、よくぞここまで書いたっていう作品でしょう? 個人情報、ダダ漏れ。ああいう人たちに憧れ、顰(ひそみ)に倣ってやってるんです。
新井 そういうところが樋口さんですよね。
樋口 だから今回『二十五の瞳』で、平成、昭和、大正、明治って遡って書いていったときに、最後はやっぱり自分に戻って書かないと、出てくる人たちに申し訳が立たないなって思った。すごーいつらかったけど。