地獄の娯楽担当として
水谷 いずれにしても、現し世で起きていることこそ、実は地獄そのものだと思うんですよ。われわれの仕事は、その地獄の中での娯楽担当(笑)。歌麿もまさにそういう存在で、当時、いろんな辛い思いをしている人たち、地獄を味わっている人たちの娯楽担当だったんじゃないでしょうかね。
中村 今回の撮影をした京都の撮影所のオープンセットっていうのは、長屋がすごくよくできている。まるで落語の熊さん、八つぁんのような、庶民の生活の雰囲気があります。歌麿の絵を見ていても、当時の暮らしぶりが伝わってきますけれど、女性が肌を露わにしていて、ずいぶん大胆だったり……(笑)。
水谷 当時の恋愛というものは、どんなものだったのでしょうかね。結婚するまで相手の顔を知らないなんていう時代もありましたけれど、江戸時代は意外に自由だったんでしょうか。
中村 いまの男女のこともわからないんだから、江戸のことなんて、とても語れません(笑)。でも、確実に年齢の概念は違います。二十歳過ぎてお嫁にいっていなかったら嫁ぎ遅れ、三十歳で大年増ですから。
岸部 ということは、十代でみんな結婚しちゃってたんですか。性の早熟化って最近言われているけれど、江戸のほうがさらに早くて、オープンな感じがあるんですね。
中村 いまの世の中は、ある程度恋愛をしたり、現実を見据えてから、あるいは、もっと枝葉が落ちてから一緒になったりしますから、それはそれでいい部分もあるじゃないですか。当時は、まだ十六、十七で何も知らないで一緒になって、恋愛に関しては未熟だったんじゃないでしょうかね。
水谷 そうは言っても、やっぱり人を好きになるという気持ちは、いまも昔も同じなんでしょうね。人を好きになるっていうことは、大変なことですよ。
中村 前回のドラマでは、歌麿が亡き妻のおりよを思う気持ちもそうだったし、今回もお妙の歌麿への思慕、その夫の武蔵屋がお妙を案じる心も、それぞれ本当に重い。男女の仲だけではなく、蘭陽が兄の敵を討とうとしたり、仙波がお上の人間でありながら、歌麿と組んで事件の真実を探ろうとするのも、人が人を好きになるからでしょう。
岸部 時代劇はいろいろありますけれど、通常は事件が起こって、そこには善悪があって、善玉が悪玉をやっつける。けれど『だましゑ歌麿』は、そう簡単に善悪を決め付けない。それがこのドラマのおもしろさだと思うんです。
水谷 確かに、単純に痛快だけではないですよね。
岸部 人間を深く描こうとすると、勧善懲悪だけに収まらないのだろうと思うし、それによって、何か独特の魅力が出てくるのを、すごく感じるんです。「ここが見所」っていう場面は、たくさんあるんですけれど、全体を通して引き込まれるような仕上がりになったと思います。
中村 僕の場合は歌舞伎をずっとやってきて、同時に時代劇も大好きで、それがどんどん少なくなってきていることが、非常に悲しいことなんです。時代劇もそうですけれど、歌舞伎でも、どうしても戦国武将も捕物帳も、既定のヒーローが主人公になることが多く、なかなか新作が出にくい。その意味でも、今回の歌麿のような新しい切り口の時代劇は、これから大事になっていくはずです。
水谷 確かにそうですね。僕自身は時代劇をこれまでやったことがなかったんですが、歌麿をやることで、もっと時代劇がテレビドラマや映画の世界にあったほうがいいと思うようになりました。日本人として、自分たちの先祖を改めて見つめるようなものですからね。
中村 歌麿や蔦屋、仙波が、定信の政治から受けている苦しみというのは、いまの時代にもどこか似ているところがあります。昨年の震災もあって、どうしても暗い話題ばかりだし、困難に直面している方々も多い。ただ、こうした経験をすることによって、日本人が人間の心の襞にあるものを見直そうとしている中で、単純明快なスペクタクルではなしに、今度の歌麿が受け入れてもらえるような気もしています。
水谷 ドラマは一回目には一回目のよさというのが必ずあるんですけれど、二回目には二回目のよさというのが必ずあります。今回の『だましゑ歌麿II』は、前作のことはあえて意識しませんでしたが、二本目だからこそ、やはりできることがありました。スタッフは冗談も交えて、ゆくゆくは連続ドラマでと言っていましたが(笑)、とにかく多くの皆さまに歌麿と、その仲間たちの活躍を見ていただきたいですね。
かげゑ歌麿
発売日:2016年04月22日