それはともかく、『風の中の子供』は、小林さんにも効いたのではないかと思う。私は、ドキュメンタリー作家ケン・バーンズの「ベースボールはメディスンだ」という言葉を好んでいるのだが、それに近い意味で「清水宏はメディスンだ」と思うことがある。心が屈したときはとくに。
八月以降、小林さんは映画を見る回数が増えはじめる。話にも《若き日の島田紳助》とか《チョイと出ました四人組》といったテーマが出てきて、読む側の頬をゆるめてくれる。とくに後者は、昨今めったに触れられることのない「あきれたぼういず」の話とあって、芸能好きならば胸を躍らせるにちがいない。このあたりは、「年季の入った眼利き」小林信彦の、他の追随を許さないところだ。
だがもちろん、この映画を機に「泣いたカラスがもう笑った」などという事態が生じたわけではない。あの震災が人々にもたらしたダメージは、風邪引きやふさぎの虫などとは一緒にできないからだ。癒えるまでにはとんでもない時間がかかりそうだし、即効性の薬を見つけるのも至難の業だと思う。ただ、周囲の人間がくよくよめそめそしても、事態はけっして好転しない。娑婆で生きていくことのつらさ、苦しさ、恐ろしさを十分に承知しつつ、小林さんは前を向く。
原田芳雄氏や中村とうよう氏が相次いで亡くなり、《魔日(まび)》としかいいようがない一日に遭遇することがあっても、小林さんの足もとは動揺の波にさらわれない。ひるむ様子は見えないし、ことさらに苦しげな息づかいも耳に入らない。さすがに、いつもニコニコというわけには行かぬものの、『モテキ』(二〇一一)や『東京の暴れん坊』(一九六〇)や『ニッポン無責任時代』(一九六二)の話が出てくると、私はやはり安心する。小林さんには揺るがぬホームグラウンドがあるのだ。
思えば、『東京の暴れん坊』や『ニッポン無責任時代』が公開されたのは、終戦から十五年ほどしか経っていない時期だった。座頭市、眠狂四郎、網走番外地、昭和残侠伝といったシリーズものがつぎつぎと製作され、中学生だった私も映画館通いに忙しかったことを思い出す。
ああいう映画を見て育つと、頭の悪い権力者や趣味の悪い金持、甘ったれた中産階級や行儀の悪い貧乏人に対する嫌悪感はひとりでに涵養される。世の中が平和で個人が健康でなければ心安らかな生活は営めないという当然すぎる事実に私が気づいたのは、情けないことにずいぶん年を取ってからだが、小林さんの本を読んでいると、それでもいいのだと思えてくるからありがたい。なにしろ小林さんは二十年ほど前に、
《ぼくはビンボーには向いていない。電卓でのこまかい計算とか、利子がどうのとかいう話になると、頭が痛くなる。生きることは下男に任せておけ、という言葉があるが、商人の子のぼくは、生きることは奉公人に任せておきたい》(『ぼくはビンボーに向かない』――『日本人は笑わない』所収)
と胸を張ったことのある人なのだ。こんな「リラダン体質」の小林さんに、私は拍手を送りたくなる。映画のなかの植木等の台詞ではないが《人頼みとお節介な女の子》を避ければ(後者は付き合い方ひとつだが)、人生の大概はなんとか切り抜けていけるのではないか。嘘だと思ったら、小林信彦の本を十冊ほどお読みになっていただきたい。
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