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小林さんのホームグラウンド

小林さんのホームグラウンド

文:芝山 幹郎 (評論家)

『人生、何でもあるものさ 本音を申せば⑧』 (小林信彦 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

《名作》と小林さんは断じている。異議はない。原作者坪田譲治の名前には、私も小学校に入ったころから親しんでいた。小川未明、宮沢賢治、浜田廣介、坪田譲治の四人集など、繰り返し読んだ記憶がある。版元はたしか金の星社だ。弁当箱の倍ほどもある分厚い童話集だった。

 話の主人公は、坪田作品でお馴染みの善太(葉山正雄)と三平(爆弾小僧=横山準)の兄弟だ。兄の善太はしっかり者の優等生だが、小学校一年生の三平は絵に描いたような腕白小僧だ。ふんどしひとつで走りまわり、近所のお坊ちゃまの頭を棒切れでひっぱたき、蒲団の上で競泳ごっこに興じている。

 そうか、当時の子供たち(私より十五歳ほど年長の小林さんと同じ世代)も、蒲団の上で競泳ごっこをしていたのか。メルボルン五輪をラジオで聴いていたころの私は、もっぱら山中毅(つよし)や古川勝の気分だったが、映画のなかの善太と三平はベルリン五輪の影響を受けて葉室鐵夫や前畑秀子の名前をしきりに連呼している。「あ、三平、のびてしまいました」と善太が叫ぶ場面はいつ見てもおかしい。

 話がこまかくなりすぎた。とにかく、小林さんの指摘にもあるとおり、兄弟は田舎の夏休みを《のびのびと暮している》。

《ところが父親(河村黎吉/れいきち)が私文書偽造の疑いで警察に連れていかれ》、兄弟はしばし離れ離れの生活を強いられることになる。三平は、山の向こうの父の友人(坂本武。映画のなかではおじさんと呼ばれている)の家に引き取られる。

 清水宏は、子供をいきいきと描くことに定評があった。自然光を生かし、子供を走らせ、子供をとまどわせ、子供をぽつねんとたたずませる。前進移動と後退移動を巧みに駆使した撮影術と相まって、子供特有の弾け方と子供特有の寂しさが鮮明に描き出される。ひとりのときも、群像のときも。

 この映画では、三平に扮する爆弾小僧が光っている。ほぼ同時期に撮られた『按摩と女』(一九三八)では佐分利信に連れられた甥っ子を演じて印象的だったが、利かん気で反射神経が鋭く、突飛な動きをしても観客を納得させる。小林さんも、彼の動きには眼を奪われたようだ。感想を抜いてみよう。

《三平がタライに乗って川を下り、それを知った坂本武が馬で追うシーンには瞠目(どうもく)した》

《母親が橋の上で三平に「お母さんが死んでもいい?」と話すシーンの、三平の微妙な動きに感心する》

《庭の方から見ている善太と三平が「おとうさん」「おとうさん」と声をかけて、画面に出没する不思議なシーンは、トリュフォのような人に見せたかった。名場面とはこのことで、ぼくは涙が出た》(引用部分はすべて同前)

 そう、ここはじんとする。子供たちの内部で、寂しかった時間の蘇る気持と喜びのこみ上げる気持がないまぜになり、奇妙な身ぶりのなかからその感情が間歇的に噴き上がってくる。清水宏は、これを後逸しない。「人格劣等」の烙印を捺されて松竹をクビになったこの天才監督は、だれにも真似のできない「エモーションの美技」を見せることがあった。

 小林さんは、それを見逃さない。というか、心身のささくれた《非常事態》のさなかにこの映画を見れば、情感の沁み渡り方は平時の比ではあるまい。小林さんは、クールな観察とドライな笑いを好む作家と思われがちだが、だからといって情の薄い人と思ったら大まちがいだ。くどくどとした説明は省くが、情のこまやかさをあからさまに示すなどという態度は野暮のきわみではないか。

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文春文庫
人生、何でもあるものさ
本音を申せば⑧
小林信彦

定価:616円(税込)発売日:2015年01月05日

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