〈小特集〉
・〈インタビュー〉わが伯父・直木三十五を語る 破天荒に生きた「奇人」直木三十五 植村鞆音
・魅力あふれる奇人ぶり――植村鞆音著『直木三十五伝』を読む 湯川豊
直木三十五賞によって、「名前」の知名度だけは抜群だけれど、当の直木がどういう作家だったのか、いまではすっかり忘れられている。その長年の空白を埋める本格的な伝記が初めて出現した。
長谷川伸をして「『昭和畸人伝』を編むとしたらまず筆頭にあげなければならない」といわしめた作家である。魅力あふれる奇人ぶりを知ると、これこそはいまは絶滅したとおぼしい「文士らしい文士」というものかと思われてくる。
まず、文士につきものの貧乏の話。直木は大阪の古着屋の長男で、家はきわめて貧しかったが父親は苦労して直木を早稲田大学に進ませた。明治末年の早稲田は文学青年の巣窟という観があるけれども、直木は作家志望の文学青年ではなく、文学修業で貧乏をしたわけではない。
大学に入って一年もしないうちに大阪から佛子寿満(ぶっしすま)という女性が押しかけてきた。同棲生活をはじめ(数年後に入籍)、たちまち学費が払えなくなる。授業料を払わずに四年間大学に行きつづけるという変則の「学生生活」に、直木の変人ぶりが早くも現われているが、事実上の中退である。やがて長女が生れ、赤貧のなかでようやく仕事につく。
周囲が一目置いたのは、直木のひらめきと多策ぶりだった。そこを買われて春秋社という出版社の役員になる。ただしそこでおとなしく編集の仕事に従事するという人物ではない。同級生の鷲尾雨工に資金を出させて冬夏社なる別の出版社を興し、二つの出版社を兄弟会社として直木は二社の出版企画を宰領した。たちまちにして羽振りがよくなる。同時にとめどがない浪費がはじまる。直木個人も会社も支出が収入をはるかに越え、直木は債鬼に追われる身になる。それが二十八歳の頃。
三十九歳で『南国太平記』を書いて大流行作家になるまで、直木の人生はほぼこのパターンのくりかえしといっていい。頭の中にカネになりそうなアイデアがつぎつぎに浮ぶ。そのアイデアは直木本人のみならず資金を持つ人の事業欲をそそって実行に移される。うまくいったかに見えながら、最後は不思議なほど借金の山だけが残る。
著者の植村鞆音(ともね)氏は、そういう直木を生来の「プランメイカー」であったと規定した。これは直木という一筋縄でいかない人物を考えるにさいして、じつに有効な補助線となる。一見ハチャメチャな彼の行動がこの観点によってきれいに解けるからだ。
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