吉田満が逢着した場所
もし吉田に、あと数年の執筆する期間があれば、彼は鈴木大拙が『日本的霊性』で述べたことに接近する主題を論じただろう。大拙の霊性論は、文化と人間の精神性が不可分であることを論じた著述だが同時に絶対平和論でもある。戦場を生き抜き、戦後、日本経済の中枢で働いた吉田は、戦争と平和をめぐって次のように語っている。
「真の反戦は、戦争の性格や平和の条件の判断をこえて、絶対平和の立場に立つものでなければならない。正義の戦争ならば支持し、不義の戦争には反対するという立場が、過去も現在も有力であり、第二次世界大戦の骨格も、正義の側に立つ連合国の当然の勝利として捉える見方が大勢であったが、戦後史の三十年は、この見方の正当性を裏付けてはいない」(「青年は何のために戦ったか」本書五二頁)
どのような状況下であれば武器をとることが許されるのかという論議を繰り返している間は、私たちは真の意味での平和を実現することはできない。それは絶対平和、すなわち非戦の立場に立たなくてはならないというのである。吉田満は非戦論者である。それが、戦艦大和において幾多の同胞の死に直面し、生涯にわたって死者たちとの内なる対話を続けてきた者の逢着した場所だった。
刊行から三十五年が経過している本書が今、なぜ、よみがえろうとしているのかを考えることは、この本に秘められている著者の、そして彼に言葉を託した死者たちの悲願を改めて感じることになるだろう。また、それは、今私たちが、どこにいて、どこに向おうとしているか、また、どこに向うべきなのかを深く認識することにもなるだろう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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