中村屋が二つ返事で快諾する。その場で、読み上げ、録音する。
この、パロディが傑作である。本書には全文が紹介されている。私的なパーティであり、編集者のいわばお遊びである。当事者だけの一場の思い出を、関さんが記録してくれた。パロディの公表は、関さんのお手柄である。
なぜ重要かというと、中村屋がパロディの出来ばえに感動して乗ってくれた事実である。つまり、中村屋の頭の良さである。このような知られざるエピソードで証明してくれたこと。本書にはその類の例がいくつも出てくるけれど(第七章や十章がまさにそれ)、どれも指摘されなければ見過ごしてしまうような事柄を拾っている。
関さんの著作の特徴なのだが、一見、無用と思える言動を大切に記録している。実は無用の中に人間の真実が隠れている。関さんは疾(と)くご存知なのだ。聞き書きの要諦は、真面目な人生談でなく、らちもないおしゃべりにこそ耳を傾けるべきことを。十八代目はシャイな人であったから、冗談でしか真実を語れなかったのではあるまいか。
とにかく関さんの手法を参考に、私たちは自分の知る十八代目のありし日の姿を、語っていこうではないか。それがファンというものの役目である。伝説はファンが作るものなのだ。
というわけで、言いだしべえの私も語らねばならない。
お断りしなくてはいけないのは、私は十八代目の熱烈なファンではない。そちらだったのは中村屋の父上の方だった。舞踊劇の「高坏(たかつき)」を見て、いっぺんに好きになった。
勘九郎時代の中村屋の舞台を見ていない。映画では何本か見た。いかにも良家の口達者なませた坊や、という感じで、田舎者で奉公人だった私には苦手なタイプだった。映画だから一方的に押しつけられたイメージである。しかし、勘九郎という役者を、映画のイメージで早合点し、観劇を敬遠した私のような者も少なくなかったのではないか、と考える。
私が歌舞伎に最も親しんだのは、昭和三十五年から四十五年であって、ひいきの役者は十七代目の他に、十一代目市川団十郎、二代目尾上松緑、誕生年月が同じのよしみをもって片岡孝夫(現在の十五代仁左衛門)であった。
歌舞伎と祭り、それにチャンバラ小説が飯より好き、という女性と知りあい、結婚した。
義母が十七代目勘三郎の大ファンであった。当然、勘九郎時代の十八代目の舞台も見ている。義母から当時の話を聞いておけばよかったのだが、十八代目がこんなに早く亡くなるとは夢にも思わなかったので迂闊だった。そのうち義母が急逝した。
あれは、いつ頃だったろう。銀座の松坂屋で、小津安二郎の記録映画「鏡獅子」の上映があった。六代目尾上菊五郎の舞台を撮影した、貴重な映画である。確か初めて一般に公開された、と記憶している。結婚前の私たちは、伝説の名優の姿を見るべく、出かけていった。
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