という質問をされて、質問者から不穏な空気を察知したら……
「ええー、難しいなぁ……どっちもいいよねぇ……犬は飼ってはじめて可愛いって思えた動物ですし、母も犬が大好き。でも猫もずーっと飼ってるから……付き合いの長さとよく分かっている感でいったら猫かなぁ……ああ、だめだ、どっちも好き! どっちか選んでー、なんて老けちゃう!!」
回答にしてはいささか長いかもしれないが、これで「思うツボ」から回避できる確率が上がると思えばきっとしんどくはない言い方だろう。好きなものは好きだと思うなか、どちらも好きだと言い張り選べない、という姿勢が「空気よめないな」と思われることも分かっている。だからこそ、「僅差でこっち、でも理由あり」という姿勢で応戦したい。何のためにこんなことをするのか……
面倒から解放されたい、質問者の意のままに持っていかれたくない……それも分かる。しかし、やはり「自分の好きなものを乱暴な批判から守るため」が本命といえる。
どうしてこんな「傾向と対策」話を始めたのかというと、「だってこの本を読んだから……」としか説明ができない。東海林先生のお話の中には「大好き」が満ちあふれている。だから私も自分の好きなものについて話す時にどんな風に話をしたら「大好き」を伝えられて「大好き」を守れるか……について考えてしまった。世の中は良くも悪くも二極化が進んでいるような気がして、「選べよ、さぁ」という投げ掛けも増えた。どっちつかずの態度を疎んじる場面にも遭遇してきた。嗜好で人格を攻撃されるなど思ってもいなかった。
しかし、東海林先生の話は「大好き」を大切にして「そうでもない」や「イマイチ」なものについて説明はしても「まぁ、存在するから受け入れるけどね」と締め括ってくれる。丸かじりシリーズもそうだが、そこには「ちゃんと見てますよ」というメッセージを孕んだ文に幾度となくホッとする。アルカディアは東の海の林にあったのだ。
私はこのアルカディアの存在をティーンの頃に感じていた。発信者は父だった。父の趣味で選んだ漫画や本が実家には多くあり、そこでたまたま手にしたのが始まりだった。色々なことを教わった。
「冷たいものにはハーッ、温かいものにはフーフーと息を自動的に選択して吹き掛けている不思議」
「ムラムラ(村村)は発展するとマチマチ(町町)になり、更に興奮するとシーシー(市市)になるらしい」
「ボディーローションの訪問販売人は『付け方が分からないの…』と言ってくる主婦とエッチなことをしたりしなかったりしているらしい」
とか。
どれもティーンには「そうか。そうなのか」と解釈するだけの事項だったが、大人の世界は今よりもっとハッケンとヤッタネとガックリしたものになるのだろうなと漠然と感じていた。あと、父は当時ショートカットの快活そうなとある女優さんをテレビや雑誌などで見かけると「お父さん、この人可愛いと思うな……」とつぶやいていたのを思い出す。ささやかな村村……いや、サトサト(里里)くらいにはなっていたのだろうか。
そんなアルカディア伝道師でもある父が、先日入院した。腸の手術をしたがすぐに回復し、大事には至らなかった。見舞いに行った際も術後すぐでヘトヘトそうだったが、会話もできた。その後は暇だったらしく「病室チョー狭い」などという「腸」にかけたメールまでくれたほどだった。見舞い時に「リュックの中に入っている本とって。お父さん今動けないからさ」と言われたので、父のリュックに手を突っ込んで「入院時の英夫(父)が読みたいゴキゲンな選書」を拝むことにした。
丸かじり、丸かじり、一冊飛ばして(山手線に関する謎解き本)丸かじり……。父は身動きとれない絶食時でも電車に揺られる我が身を想像しながら何かを丸かじることに思いを馳せていたかったようだ。
その後すぐ、私はこの本の解説文の依頼を受けた。快諾した。公私混同はヨロシクないが、父娘共に発見した「東海林アルカディア」に、解説文として刹那でも存在できたことを大変光栄に思う。
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