前回までのあらすじ
藤戸藩の道具役・屋島五郎の長男として生まれた剛。しかし、幼くして母を亡くし、嫡子としての居場処も失う。以来、三つ齢上の友・岩船保の稽古を覗かせてもらうほかは、野宮と呼ばれる河原で独りひたすら能の稽古に励む日々を送っていたが、突如、さらなる不幸に見舞われる。唯一の頼りであった保が切腹を命じられたのだ。いよいよ独りきりになり、稽古に没入していた剛は、ある日、見知らぬ屋敷で目を覚ます。傍らには鵜飼又四郎と名乗る目付がいて、剛に藤戸藩の御藩主になれと言った。驚き、煩悶しながらもひとまず江戸上がりを受け入れた剛に、又四郎は様々なことを語る。とりわけ能の名人だったという先々代御藩主の話は剛の胸に様々な思いを抱かせた。
「御城の殿席で共に控えることになる諸侯のなかで、とりわけ意に留めておかれるべきは、」
と、江戸留守居役の井波八右衛門は言った。下谷は御徒町にある藤戸藩上屋敷の中奥の居間である。着いてまだ間もない三日後の七月七日、剛は五節句の七夕で初めて江戸城に上がり、まずは、控えの間である殿席の柳之間で儀に備える。それは藤戸藩の第十六代御藩主にとっても、初の年中行事である。この春、本物の第十六代武井甲斐守景通様は公方様への初御目見を果たして家督相続の仰付を受けたあと病に伏し、二度と登城することはなかった。
「豊後岡藩の中川修理大夫久教殿と、平戸藩の松浦肥前守煕殿、そして、もう、おひと方でございます」
八右衛門が剛を身代わりと識っているのか否かは鵜飼又四郎から聞いていなかった。八右衛門に限らず、又四郎はそのあたりのことをいっさい口にしない。代わりに、「雑事だ」と言った。「誰が識っていて誰が識らぬかの類は頭からきれいさっぱり拭い去れ。すべてこちらで然るべく処しておく。けっして、みずから身代わりを疑うな。おぬしは御藩主になり切っていればいい」。そのざっくりとした又四郎の言葉を、剛は、意外、と受け止めなかった。
景通様は庶子で幼少の頃より寺に出されており、御先代様の急逝でこの年初に呼び戻されて御藩主の座に就いた。そして程なく身罷られた。御姿を目にした者は限られているらしい。が、剛が又四郎の言葉を意外に思わなかったのは、それが理由ではなかった。剛もまた「雑事」のつもりだったのだ。自分に与えられた時はわずかに七月だ。なにをやるかにも増して、なにをやらぬかが大事になる。真っ先にやらぬと決めたのが、身代わりを識る者の見極めだった。そんなことにいちいちかかずらっている暇はない。識るも識らぬも放り置いて、たとえ厄介に出くわしたとしても、藩主のまま突き進むと心した。
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