ファクシミリで、本書『桑港特急』の解説の依頼書が届くや否や、私の頭の中では、たとえば、エルマー・バーンスタインの「荒野の七人」のテーマのような滅法、威勢のいい西部劇の音楽が鳴り渡り、一瞬にして興奮状態に陥ってしまった。
こうなったらもういけない。
世の中の人は、批評家は冷静かつ客観的に物事を論じるものだ、と考えているかもしれないが、ときには例外というものがある。
私の胸中には、この一巻を読み終えたときの胸のすくような思い、さらには、読み終えてしばらくしてもまだ興奮が醒めやらず、一人、巻頭に掲げられている〈小説の舞台と登場人物表〉を見ながら、にやにやしていた時のことを思い出し、いままた同じことをしているのだから、始末が悪い。
だが、敢えていい訳をさせてもらうならば、世の中には、どんなすれっからしの批評家も夢中にさせてしまう作品というものが存在し、本書は間違いなく、そんな一巻なのである。
ここで少し冷静さを取り戻すために、本書の初出等について記しておけば、この作品は「週刊文春」の二〇一三年六月六日号から二〇一四年の八月七日号にかけて連載され、二〇一五年一月、文藝春秋から刊行された。
そして特筆すべきは、本書が日本人によって書かれた西部小説である、ということだ。西部小説、つまりは、ウェスタンである。
ここでわが国の西部小説受容史について記しておくと、戦後、あれだけ大量の西部劇が公開されたにもかかわらず、西部小説を出版する版元はつぶれる、といわれたくらい、まったく売れなかった。
辛うじて命脈を保っていたのが、ハヤカワ文庫から出ていた西部小説の名作集『駅馬車』(アーネスト・ヘイコックス他)や『シェーン』(ジャック・シェーファー)等、映画絡みのものが多いが、これとていまは絶版。
もっとも、日本人作家の中にも、我こそはという強者がいて、逢坂剛が『アリゾナ無宿』『逆襲の地平線』の二作を上梓。
そして、これらの中に山本一力の超弩級の大作である本書が加わったのである。
しかも、日本と中国、そしてアメリカをブリッジしたかたちで――。
さて、作品の舞台はゴールド・ラッシュに沸く新大陸アメリカ。金の魔力が人々を成功に導き、あるいは破滅へと追いやる。
そして、題名にある“桑港特急”には、三つの意味がある。
一つは、人口増加に伴い、新大陸が必要としている大陸横断鉄道敷設のことで、その西側の起点が、サンフランシスコか、サクラメントになる、という。
二つ目は、卑劣な手段で妻と友の命を奪ったデューク・サントス一味への復讐のため、彼らが砂金強奪を企むに違いないと踏んだ元賞金稼ぎリバティー・ジョーが乗る馬車に、深紅で書かれた“San Francisco Express”の文字。
そして、三つ目にかかわるのが、清水湊から嵐で父島に漂着したみすずと、この地に移住したジム・ガーナーとの間に生まれた丈二、子温の兄弟で彼らがこの長篇の主人公だ。当時の父島は、アメリカ補鯨船の補給地。二人の兄弟の夢は元航海士だった父のように船乗りになること。そしてこの地に寄港したジョン・マンに感化され、中国商人チャンタオの配下ルーパンの船に同乗して、アメリカへと旅立つことに――。
しかし、いざ到着するや、サンフランシスコはゴールド・ラッシュに沸き、捕鯨はまったくの下火。兄弟は、前述の鉄道建設に目をつけたチャンタオ=ルーパンの下、サンフランシスコの洋品店で働くことになるが、その際、ベイツ銀行のバッグに“BATES BANK”と並んで“桑港特急”と書く。
これら三つの“桑港特急”に三つのドラマが託されているわけだが、ルーパンの洋品店で働くうちに、兄弟はリバティー・ジョーと知り合いに……というように、次第に、それぞれのピースが重なり合うようになってゆく。
そして、この作品自体も、作者がアメリカや父島で見聞した幾つかのピースがもとになっている。
たとえば、サンフランシスコに帆船がいっぱいうち棄てられていたという話から、捕鯨が駄目になった一方でゴールド・ラッシュを目当てに大勢の人々が西海岸に押し寄せてきた証左だろうとし、小笠原に行ったとき、島全体のもの凄い湿気に驚いたり、船が出港する際に島人たちが海に飛び込んで見送ることに感動したり、その二つの断片から、小笠原生まれの若者がハワイを経由してサンフランシスコに向かい、そこに乗り捨ててある船の帆布を使って自分たちのアイデアで商売をはじめたり、そんな外へ目を向けた日本人がいてもいいじゃないかと、さまざまなことを想像したという。
さらに、そうした想像に、十九世紀の町並がいまも息づくリオ・ビスタや、ノーフォーク、コロマ、オーバーン、そして十九世紀にサンフランシスコが金山と呼ばれていた話など、一見、何の関係もなさそうなことどもが結びつき、作品化されていったと回想している。
これらさまざまなピースが一体となって、ラストのサントス一味との対決へと、緊張感あふれる筆致で収斂されてゆく。
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