加えて彼らは二人組――丈二と子温が兄弟であるように、リバティー・ジョーには、サントスを姉の仇と狙うビリー・パックがいる――であり、本書を最高のバディ=相棒小説たらしめているのだ。
そしてラストの長い決闘場面では作者の西部劇好きが全開。「リオ・ブラボー」級の面白さではないか。
そう面白さという点でいえば、本書は、日本人が書いた最も面白い西部小説といっても過言ではあるまい。
そして、年齢も国境も越えた男たちの結ぶ交誼と友情も素晴らしく、読んでいてとても途中でやめられるものではない。徹夜になるのを覚悟でページを繰られたい。
が、本書はそれで終わらない。終章を読んだ方はもうお分かりだろうが、作品は、サクラメント河畔にいる丈二と子温が、「ダッドもママも、凄いことをやってきたんだなあ……」と両親を思いつつも、現地に留まるのを決意するところで幕となる。
山本一力は、あるインタビューの中で、丈二と子温は、実は自分の息子たちをモデルにしたのだと明かしている。
そしてこうもいっている。
まさにその通りで、二人の姿を思い浮かべながら書いたわけだけど、兄弟っていうのはバディ(相棒)であることが絶対に大事なんだ。バディというのは、兄弟だけじゃなくて男と男でも、男と女でも自分の命を預けられる間柄。主君と家臣に置き換えてもいいし、日本人古来の考え方にも通じるものがあるよね。「お前のためなら死ねる」という漫画『愛と誠』の台詞じゃないけれど、究極の信頼があってこそ。丈二と子温もそうだし、リバティー・ジョーも先に妻のメリーアンを殺されたけれど、この小説の登場人物たちは命の危機にあっても、お互いにお互いの命を譲り合える人間であることを書きながらずっと自分で確信していた。
と。
またさらに、
丈二と子温は互いを一〇〇%信頼し合っているし、両親に対しても一〇〇%の尊敬と愛を持っている。
と。
そして、丈二と子温が作者の息子たちであり両親にも一〇〇%の信頼を抱いているとするならば、正に本書は、山本一力一家が総出で書いた作品といえはしまいか。
ここで、本篇とは別に、西部小説ファンに朗報を一つ――。
実は先日、新潮文庫からエルモア・レナードの初期西部小説『オンブレ』が刊行されたのである。訳者は村上春樹。
“オンブレ”とはスペイン語で男という意味であり、本書の主人公ジョン・ラッセルのことを示している。
物語は、御者メンデスと部下のアレン(語り手)の操る駅馬車が、件のラッセル、インディアンにさらわれた過去のある娘マクラレン、いかにもならず者めくブレイデン、そして、フェイヴァー医師夫妻を乗せ、アリゾナの荒野を疾駆することで幕があく。
ところが、この駅馬車の荷物の中にとんでもないものが入っていたため、駅馬車強盗と追いつ追われつの死闘が展開することに――。
村上春樹入魂の訳業は、かつてミステリ・ファンを魅了したいわゆる“レナード・タッチ”を見事に甦らせ、何よりも、「ラッセルは何があろうと常にラッセルなのだ」というクールで己のルールを決して曲げない主人公の魅力が、西部劇ヒーローが後のハードボイルドヒーローの原型となったという定説もむべなるかな、と思わせる会心の出来ばえ。
さらに嬉しいことに、本書には切れ味鋭い短篇「三時十分発ユマ行き」が併録されている。
『オンブレ』は、ポール・ニューマン主演で「太陽の中の対決」として、「三時十分発ユマ行き」は「決断の3時10分」としてグレン・フォード主演で映画化(後者はラッセル・クロウ主演でリメイクあり)されており、西部小説、西部劇ファンにはたまらない一巻といえるだろう。
では最後に、いま一度、『桑港特急』に戻っていえば、ポピュリズムに急速に傾斜しつつある現代にあって、命懸けで相手を想う大切さ、かけがえのなさを提示する本書は、単なるバディ=相棒小説を越える感動をも私たちにくれるのではあるまいか。
山本一力の筆力の底力を知るべきであろう。
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