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『神様の暇つぶし』千早茜――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版21号

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版21号

文藝春秋・編

くわしく
見る

 ただ、汗みどろで睦み合うさなかに花火の音を聞いた。毎年、お盆の時期に開催される花火大会は、幼い頃に父と母と行った記憶があった。幻聴だったかもしれない。けれど、暗闇に散る色鮮やかな光が目の裏でよみがえり、父を思いだした。その次の瞬間、記憶の中で弾ける火花は、体の奥の快感に呑まれて消えた。

 薄情な娘だ。きっと父も呆れていることだろう。

 墓参りをしていないことがわかるのか、おばさんからは何度か心配そうな声で電話があった。私は「大丈夫です」をくり返した。なにを言われても、困っていることはないかと訊かれても、頑なに「大丈夫です」としか言わなかった。全さんとの生活や関係をひとつでも洩らしてしまえば、離れ離れになってしまう予感がした。

 喉につかえたままの不安はどうやっても呑み込めず、触れて、触れられ、抱き合って、感覚に溺れ、我を忘れることしかできなかった。

 破り取ったカレンダーを丸めて、冷蔵庫を開けた。たまに三木さんが差し入れをしてくれるので、庫内のあちこちにしおれかけた緑があった。食材を見まわし、まずは米をといだ。鍋に湯をはり、いくつか野菜を茹でて、ざくざくと切る。大根をおろし、出汁をとり、味噌汁を作って、野菜を和えた。皿に盛り、居間のテーブルに運ぶ。最初に考えた段取り通りに無心で手を動かしていると、どんどん体も頭もすっきりしていった。

 玄関扉の閉まる音がした。同時に炊飯器から炊きあがりを告げる電子音が鳴り響く。廊下から全さんが台所を覗いて、「なんだ」と鼻をひくつかせた。肩も髪も濡れていない。雨は止んだようだ。

「朝ごはん、作ったので食べませんか?」

「もう昼過ぎもいいとこだぞ」

「じゃあ、いいです。私ひとりで食べますから」

 じゃらり、と廊下と台所の間の玉すだれが音をたてた。「食う、食う」と笑いながら手を伸ばしてくる。その手に、巻いたばかりの卵焼きの皿を押しつける。

「運んでください」

 全さんはしまりのない顔で「はいはい」と言うと、背中を丸めて台所を出ていった。味噌汁とご飯をよそって私も居間へ向かう。

 ちゃぶ台に並ぶ皿を上から眺めた。全さんが撮影の帰りに買ってきた白菜キムチと韓国海苔、納豆、人参のきんぴら、小松菜とエリンギの辛子和え、削り節をかけたゴーヤのお浸し、胡瓜とワカメの酢の物、卵焼きにはたっぷり大根おろしが添えてある。取り皿と味噌汁とご飯を置いたら、小さなちゃぶ台はいっぱいになった。満足して腰を下ろす。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版21号
文藝春秋・編

発売日:2018年08月20日

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