2018.09.13 別冊文藝春秋

『神様の暇つぶし』千早茜――立ち読み

文: 千早 茜

電子版21号

「別冊文藝春秋 電子版21号」(文藝春秋 編)

前回までのあらすじ

「私」が全さんに再会したのは、父が亡くなった二十歳の夏だった。全さんの実家である廣瀬写真館の前で、「私」は全さんを追いかけてきた恋人に出会い、自分と父を捨て、男と逃げた母親のことを思い出していた。全さんと鶴岡にいる母親のもとへ行ったが、「私」の居場所がないことを改めて理解するだけだった。旅から帰ると、全さんと連絡が取れなくなり、「私」は不安を募らせる。そんなある日、街中で全さんを見かけ、見失うまいと車道を横切ろうとしたとき、車と接触事故を起こし「私」は病院に運ばれてしまう。その夜、全さんは突然「私」の足首を掴み、そして私たちは結ばれた。あの頃、「私」にとっては全さんが世界のすべてだった。


 夕立とは違う長雨は降るごとに秋を連れてくる。雨があがるたび、空気が澄んで、冷たくなっていき、肌にまとわりつくような熱と湿りけが徐々に失われていくのを感じた。

 そんな夏の終わりの食卓をなぜかよく覚えている。

 ゆうに昼を過ぎた時間に目を覚ますと、隣に全さんの姿はなかった。カメラもない。また廣瀬写真館に行っているのか、と身を起こし、下着とTシャツを身につける。

 昨夜から降り続いている雨は、目を凝らさねば見えないほどの細い線になっていた。雲間からときどき太陽がのぞいたが、もう真夏ほどの烈しさは宿してはいなかった。ほっとするような、拍子抜けのような、気分になる。

 裸足で台所に立つ。蛇口からのぬるい水で口をゆすぎつつ飲む。写真館に行ってしまうと、呼び戻すことは難しい。作業を中断させると、全さんはあからさまに機嫌が悪くなる。

 手持ち無沙汰に冷蔵庫に目をやると、カレンダーが先月のままだった。山形から戻り、全さんに避けられた頃から、私の時間は止まっていた。いや、違う。全さんに触れられた時から、過去も未来もない底知れぬ穴に落ちてしまった。

 音をたてて先月のカレンダーを破り取る。規則正しく並んだ数字を目で追って、ようやく今日の日付を見つける。もう今月も残り少ない。

 カレンダーに印刷された「盆入り」「盆明け」の文字がいやおうなく目に入る。父の新盆だというのに、墓参りすらしていなかった。全さんも、私も、どちらも口にださなかった。父の霊が帰ってきていたとしても、仏壇の前では報告できないことが私の生活を占めていた。

別冊文藝春秋からうまれた本



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