「野菜ばっかだな」
「卵焼きもありますよ」
全さんの箸が伸びる。淡い黄色の断面で細い湯気がゆらめいた。
「関西風の出汁巻きか。うまいもんだ」
うめくように言われて、嬉しくなった。
「おまえ、ちゃんと料理できるんじゃねえか」
「父と二人でしたから」
私も卵焼きを取った。卵焼きは包丁で切らずに箸で食べたい分だけちぎり取るのが好きだ。ご飯の上に載せ、マヨネーズを絞って熱々をかき込む。
「台無しだな」と全さんが顔をしかめる。
「ご高齢の方は大根おろしとお醤油でどうぞ」
ちゃぶ台の下で脚を蹴られた。もう、と蹴り返す。行儀の悪い子どものようなことをして、どちらからともなく食べることに専念した。野菜の繊維を噛み砕く音がひとしきり響いた。
「父はこういう皿数が多い食卓が好きで」
咀嚼の合間にぼそぼそと話した。
「野菜ばかりでも『ご馳走だな!』と喜んだんです。旅館のごはんみたいだって。私にしてみれば、ハンバーグとか焼肉のほうがご馳走だったんですが」
「そうか」とだけ全さんは言った。韓国海苔は胡麻油の香りがした。ご飯が進む。私は立ちあがり、台所から炊飯器を持ってきた。「どんだけ食うんだよ」と笑われる。
全さんが味噌汁をすすり「甘いな」とつぶやいた。
「玉ねぎが入っていますから。父が好きだったんです」
「そうか」
湯気のたつ熱い汁を飲んでも、全さんの唇の色は悪いままだった。汗もかかない。土気色の顔でゆっくりと顎を動かしている。目をそらし、食卓を見つめながら食べることに集中した。
父の弔いをするかのように私たちは黙々と食べた。ご飯を三膳たいらげ、ちゃぶ台の皿を空にすると、けだるい眠気が込みあげてきた。
「散歩でもいくか」
ふいに全さんが立ちあがった。せめて片付けましょうよ、と言っても返事もせずに玄関へ向かう。いつも思いつきで動く。仕方がないので、そこらへんに散らばっていた服を着て追いかけた。
全さんは片手にビニール傘をぶら下げて住宅街を抜けていく。最近にしてはめずらしくカメラを持っていない。よく見ると、ビニール傘はいびつに膨らんでいた。前回の台風のときに骨が折れた傘だと気付く。全さんが外で写真を撮りたがったのだ。やわなビニール傘は暴風になぶられて一瞬でひっくり返った。あっと言う間にずぶ濡れになって、やけになって笑う私を全さんは撮り続けた。真夜中の台風だった。闇と雨と風の中でなにが撮れるのだと挑むような気分になって、黒々とした鈍い光を放つカメラを睨みつけた。
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