巻末に名簿があったので、本来ならそこで「瓜生平吉」という名前を探せばいいのだが、つい波線の引かれた「各隊の記録」のほうに目が行った。
この「各隊の記録」は、何かきちんとした方針があって、記録係のような者がいて、書き残されたものというのでもないらしい。各隊で誰かが書いていた日記を引き写していたり、後から作戦内容を思い出して記録したり、バラバラな印象があった。でもそれだけに断片を集めて整理する作業はたいへんなものだっただろうと想像できた。なにかしら記録を残していた人も、それらを集めて編集した人も、もう多くが鬼籍に入ったと思うと、自分がそれを手に取っている不思議に驚かされる。
ともあれ、この「各隊の記録」の中の、「第十三中隊」の記述の中に、わたしは「瓜生」という名前を発見した。
「第十三中隊」の記録に多く名前を見るのは、金田任三郎という人物で、この人は小隊を率いていたらしい。まめに日記をつけていただけでなく、その内容も、他の人とはちょっと違って、戦死した部下の遺品から女性の写真を見つけ出して、まだ恋人の逝ったのも知らずにいるのだとため息をついたり、原住民の抱いている子どもがかわいいと書いていたりする。どこか情緒的で、小説家の文章のようでもあり、ふと、この人が瓜生平吉なのではないだろうかと、妙な気持ちにもなった。
でも、そうではないらしい。「瓜生」という名前は、部隊が昭和十五年三月に中国の中山県に上陸した翌日の記述にあった。中山県は広東省にあり、広州とマカオの間くらいの位置にある。
上陸の日は暗くなってから雨が降り、日本とは違って三月は雨季でじめじめして生暖かく、部隊はひっきりなしに蚊の来襲に遭って、眠れぬ夜を過ごし、しらじらとあたりが明るくなり始めたところへ、歩哨が原住民を連れてくる。上陸の夜にあたりをうろついていて、戦闘に巻き込んでは危ないので保護したが、朝になって何やら大声でわめき出した。現地の言葉は皆目わからないので、ともかく金田小隊長のところへ連れて行こうということになったらしい。
日本人と中国人なのだからと、筆談を始めるがどうもうまくいかない。身振りを入れてもわからない。どうしようもないので困っていると、瓜生という名前の一等兵が「英語を話せるか」と原住民にたずねた。
驚いたことに、筆談もおぼつかないかにみえたその原住民の男は、なにやらぺらぺらと話し始めた。「眼鏡をかけた」「背の高い」「瓜生一等兵」は、しばらくその男をにらむようにして話を聞いていたが、やがて向き直って、金田小隊長に「この辺には兵隊はいない。危ないことはないから、もう家に帰らせてほしいと、言っております」と報告するのだ。
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