「なっちゃんと私は一緒に戦うのよ。だから、いつまでも泣いているのは許さない」
そうしてこの明治の乙女たちは、じっさいに(それは対男性というような狭い意味ばかりではなく)戦友のような振る舞いを見せることになるのだけれど。
小説の作り方として、この作品はいくつもの声が響く構造になっています。中心人物は咲と夏ですが、下級生のキンちゃんこと尾澤キンとみねちゃんこと高梨みねも、いいキャラクターです。「フタ婆(ばあ)」と身もふたもない綽名をつけられている舎監の山川二葉先生もりりしい。会津出身の二葉先生は、あのNHK大河ドラマ『八重の桜』にも登場した実在の人物です。二葉先生の妹で、鹿鳴館の華だった大山捨松も顔を見せます。彼女たちはそれぞれに物語を持っていて、それらはなんらかの形で、女として生きることの困難さと結びついています。だから、襞(ひだ)のように折り重なった女性たちの声を、読者は聞くことになるのです。
圧巻は、けなげな女生徒たちの物語とは直接には交わることのない、下田の悲しい唐人お吉の声でしょう。それは久蔵の物語で重要な役割を果たします。そして、これらのすべての女たちの声が終盤、鹿鳴館の華やかな舞踏会での事件の背景に、読者の胸の中でギリシャ悲劇のコロスのように響き渡ります。
この作品が世に出たのは二〇一七年でした。この年の十月、ニューヨークタイムズ紙が、ハリウッドの映画プロデューサーの数十年に及ぶセクハラを告発しました。それに続いて、性犯罪の被害にあったことを実名で告発する#MeTooという運動が起こり、世界中を席巻(せっけん)しました。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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