令和元年(二〇一九年)五月一日、皇太子殿下が一二六代天皇に即位され、雅子妃殿下は新皇后となられた。
雨上がりの道を、赤坂御所から皇居・宮殿に向かう車の中で、皇后は満面の笑顔を浮かべられていた。
雨上がりと笑顔。その光景は、一九九三年(平成五年)のご成婚パレードを彷彿とさせるものだった。
あの日も朝から小雨が降っていたが、パレード直前に止み、曇り空の下、大勢の人たちが沿道に人垣を作って皇太子同妃両殿下(当時)を一目見ようと待機していた。そこへ輝くティアラと白い花の付いたドレスに身を包まれた雅子妃が、半蔵門からの道を通り、オープンカーの中から手を振られた。曇り空がいっそう白いドレスの雅子妃を浮き立たせているようで、沿道の人々から歓喜の声が上がった。興奮の余り泣き出す人もいた。まるで映画のワンシーンを観ているかのようだった。雅子妃の俯(うつむ)き加減ではにかんだ笑顔からは、昭和生まれの奥ゆかしさと親しみやすさが感じられた。
あの、ご成婚のパレードの笑顔はどこへ行ってしまったのか──。その答えを求めて取材を続けてきた私にとって、即位の日の皇后の笑顔は印象深いものだった。
令和元年五月四日。新天皇皇后として初の一般参賀も六回すべてにお出ましになり、笑顔で手を振られていた。お召し物の鶸(ひわ)色のドレスは、鮮やかなイエローにわずかに緑色が入った色合いで、婚約会見でお召しになっていたのも同じイエローだった。
婚約内定が報じられた時の小和田(おわだ)雅子さんは、新しい皇太子妃像を予感させた。当時まだ多くはなかった海外生活や留学の経験があり、高学歴で外務省官僚だったという生き方は、それまで男社会で生きてきた女性たちや悩みを抱えて働く女性たちにとっても、新しい社会の始まりを期待させた。
だが、婚約会見でのイエローの帽子とワンピースの雅子さまは、既に皇室の顔になっていた。洋服のデザインのせいなのか。皇室の格式にすぐ合わせられる適応性からなのか。違和感があった。膝に揃えて置かれた白い手袋が恨めしくさえ思えたものだ。
会見で「僕が一生全力でお守りしますから」という皇太子の言葉があったことが語られたが、いったい何から守られるのか。菊のカーテンの奥はそんなに未知の世界なのかと、取材するこちらのほうが不安に駆られたのを憶えている。不安は現実のものとなり、雅子妃はお世継ぎ問題に悩まれ、愛子内親王殿下が誕生されてからは子育ての時間と公務時間の両立の難しさなどからご病気になられた。ご療養は、皇后となられた今も続いている。
果たして皇后は皇室入りされてお幸せだったのだろうか──。そんな邪推が取材を続けてきて何度もよぎった。
だが、それは杞憂に過ぎなかった。皇后は、陛下と愛子さまというご家族で人生を歩まれたことが、本当に幸せなのだと近親者は語る。家族に助けられ、ご自分でも助けるという、相互扶助ができる関係が皇后を癒す力になっているそうだ。
それは国民との関係においても同じだという。視線を同じ高さにされ、傷ついた心の人たちに声を掛けられる。ご病気で傷つかれ痛みを知る方としての共感が一つの言葉となって胸に響くのだと、訪問を受けた被災者の一人は語った。
新皇后となった今後も、ご体調と向き合われながら、行幸啓をはじめ被災者への慰問、福祉、国際親善などのご活動をなさっていくことになるだろう。だが多くの公務を果たされる事だけが国民の手本になるとは思わない。完璧な象徴像を願うことだけが必要なのではないからだ。皇后の責務を背負われながら、着実に、人びとと心の通うご活動をなさる姿から国民が何かを感じとれれば、それでいいのだと思う。
皇后としての新たなご決意は、皇族への道の始まりを迎えた時と同じイエローのドレスを選ばれたことからも感じ取れるようだった。鶸鳥は一羽では行動せずに群れで力を合わせて羽ばたいていくという。皇后としての新たな始まりが、人生の再出発を予感させている。
令和元年春 友納尚子
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